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日本の漫画家 ウィキペディアから
1985年大学4年7月に月刊誌『フレッシュジャンプ』にて『臨機応変マン』でデビュー。自身のライフワーク的作品。以降、ヒーローを主人公としたギャグ漫画を多く残す。
1987年『フレッシュジャンプ』にて『スーパーボーヤケンちゃん』を連載。
1990年週刊少年ジャンプ18号に特別読切『トラブル昆虫記』を掲載。
1993年から1997年にかけて、『週刊少年ジャンプ』にて『とっても!ラッキーマン』を連載。自身最長の連載(全188話、単行本16巻)となり、アニメ化やゲーム化もされ名実ともに代表作となった。『とっても!ラッキーマン』の連載前2年間は、生活のため無遅刻無欠勤でサラリーマンを続けていた[1]。
1998年に『ぼくは少年探偵ダン♪♪』、2000年に『バカバカしいの!』を『週刊少年ジャンプ』に連載するが、いずれも半年以内の短期連載に終わる。
2003年、「mangaオモ!」(集英社)にて『キューボ戦隊オモレンジャー』(6P)を掲載[2]。
2008年、わくわくキッズブックシリーズ(集英社)として、絵本『でたぁーっ わんつーぱんつくん』を刊行。
2009年、『ラッキーマン』の文庫本が刊行。新たに描き下ろしとあとがきが追加されている。さらに、読み切り版『ラッキーマン』や『少年探偵ダン』などが収録された『ガモウひろし 寄せ集め』集の2冊が刊行された。
2010年、当初昨年度内と発表されていた『寄せ集め』第3巻が刊行予定であるとアナウンスされていた。表紙は読者募集のものとなる予定であった。しかし、集英社コミック文庫より2015年5月現在発売の予定はないと発表された[3]。
越谷市内に実在する「蒲生」という地名がペンネームの由来とされる。ガモウの家は、越谷レイクタウンにかなり近いところにある[4]。
本名は非公表だが、ニックネームが「てっちゃん」であることは公表している[5]。2人の子供がいる。
1970 - 80年代のジャニーズに詳しく、特にシブがき隊の歌に関するネタが頻繁に登場する。
「ジャンプで一番絵が下手」と言われたガモウだったが、それについてガモウは「絵はうまいにこしたことはないが、漫画に大切なのは愛です」と発言している。
『ラッキーマン』の連載当時は、他の人気連載漫画には敵わぬと自覚しながらも「ガモウのくせに」という言葉を励みにして、手を抜かず必死に描いていたことを告白している[6]。
2009年現在の活動は公式には『ぱんつくん』の出版と『ラッキーマン』の文庫本発売のみであるが、「どうやって生計をつないでいるのか」について、前記のそれらの活動以外を「一番聞いてはいけないこと」と、やんわりと述べている[7]。
長らく愛煙家であったが、最近は節煙に努め1日4箱以上だったのが2箱以下になったという[4]。
お笑いコンビ・はんにゃの金田哲に人志松本の○○な話にて『ラッキーマン』を紹介されていることを目の当たりにしたガモウは、「好きだと言ってくれている」人が「世の中にはもっとたくさんいるのだろう」と思い「描いててよかった」と涙した[1]。
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