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福井英一による日本の漫画 ウィキペディアから
熱血少年イガグリくんを主人公に据えた柔道漫画で、福井の代表作であると同時に格闘漫画・スポーツ漫画の原点としても知られている[1]。連載途中に福井が死去したため、有川旭一が作品を引き継いで連載を続けた。
1960年には本作を原作とするテレビドラマが放送されており、本項ではテレビドラマ版についても併せて解説する。
秋田書店の『少年少女冐險王』に1952年3月号から1954年8月号まで福井による執筆作が連載されていたが、福井が過労により急死したため、清水春雄が「どや一平」のペンネームで執筆したものが同誌1954年9月号・10月号に連載された後、有川旭一が正式に作品を引き継いで1960年12月号まで連載を続けた。単行本は秋田書店の「冒険漫画文庫」から10集が刊行されており、第4集の半ばまでが福井の執筆である[2]。
日本では終戦後、柔剣道や時代劇を描く作品がGHQによって禁じられており、サンフランシスコ平和条約締結まではどの作家もこのジャンルの作品を執筆できなかった。『イガグリくん』はその解禁第一号と言える漫画で、この作品のヒットを皮切りとして他の漫画誌でも柔剣道や時代劇ジャンルの作品が相次いで始められた[3]。
福井が執筆した最後の回は、試合中に主人公(イガグリ)がピンチに陥った場面で終わっており、そこから必殺技を編み出して勝つ形で続けられた[4]。福井の時期には空手家との対決を除けばほぼ柔道の試合が描かれていたのに対し、有川に代わってからはプロレスなどの異種格闘技戦が増えたこと、また「怪人」が登場する「猟奇ミステリー」的な要素が加わったことを夏目房之介は指摘しており、これらが梶原一騎の作品に通じるとも述べている[4]。
1994年にアース出版局から全1巻の復刻版が発行されたほか、2014年に漫画配信ウェブサイトJコミにて本作の配信が開始された[1]。本作の著作権は既に消滅しているため、Jコミにおいて初めての著作権消滅作品となった[1]。
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前記の通り、戦後初めての本格的な格闘技漫画であった。夏目房之介は、手塚治虫の漫画と比較して『イガグリくん』は人物の感情描写やコマ割は単純かつ短調であったが、読者にはわかりやすかったのではないかと述べ、手塚とは別の漫画の源流になっている可能性も指摘した[5]。
水島新司は『ドカベン』が柔道漫画であった時期に、本作の主人公と同名の伊賀谷栗助というキャラクターを山田太郎の師匠として登場させ、『イガグリくん』でライバルだった空手家も出てくる[6]。なお、夏目房之介は「伊賀谷栗助はドカベンの柔道の師匠」と記述しているが、これは不正確な表現であり、実際の漫画でのキャラクターは「講道館・師範九段」[7]であり、山田の鷹丘中と賀間の武蔵中の団体戦決勝の審判をつとめ[8]、また山田らの「二段取得試験」を「館長・五船十段」とともに師範役として観戦しているのみである[9]。
アース出版局より刊行。
関西テレビが製作し、フジテレビ系列で放送。日清食品が初めて一社提供を行った番組である。日清食品の創業者である安藤百福が子供たちにもPRするべくコマーシャルを入れようとした経緯がある。
いずれも日本標準時。
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