高谷豊之助
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高谷 豊之助(たかや とよのすけ、1879年(明治12年)1月14日[1] - 1943年(昭和18年)7月13日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
高谷豊太郎の長男として青森県西津軽郡木造村(木造町を経て現つがる市)に生まれる[3]。1889年(明治22年)1月に家督を相続した[1]。1892年(明治25年)資本金1万円で木造唯一の高谷銀行を創立し、頭取を務める[3]。翌年合資会社に変更し、1896年(明治29年)奥羽銀行同盟に加盟[3]。のちに第九十三銀行と取引した[3]。1897年(明治30年)には資本金5万円の有力な地場銀行となり、1905年(明治38年)弘前に支店を開設[3]。資本金を30万円に増資した[3]。
大坂金助の辞職に伴い[4]1920年(大正9年)青森県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月14日[5][6]から翌年の10月18日まで在任[2][7]。1924年(大正13年)当時、県下で第4位の大地主だった[3]。のち放漫経営により、1927年(昭和2年)高谷銀行は破綻し、連鎖倒産も出るほどの騒ぎとなった[3]。
⚫︎弟: 嘉繁 (妻は貴族院多額納税者議員加藤宇兵衛の娘ちよ)[8]
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