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戦国時代から安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。尾張奥田城・北島城主。赤母衣衆。隠岐守・出羽守・正五位上・従四位下・侍従。子に飯尾宗敏(永沼左之助)、横井弥兵衛。 ウィキペディアから
飯尾 尚清(いいのお ひさきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。尾張国奥田城・北島城主。赤母衣衆の一人。
諱は信宗とも伝わるが、尚清が正しいとされる[3]。弘治2年(1556年)6月26日、父・飯尾定宗と共に、尾張守山城攻めに従軍。永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで父や大叔父・織田秀敏と共に鷲津の砦を守るが、今川軍に敗れて父は討ち死にし、尚清は敗走。以後は信長の馬廻となり、同年、母衣衆(赤母衣衆)に加わった[1]。石山合戦、三木合戦などでは検視役を務めた。どちらかといえば吏僚的な活躍の方が多い。
天正2年(1574年)7月の伊勢国の長島一向一揆に参戦した[4]。天正10年(1582年)、本能寺の変では長男・敏成が討ち死にした。信長の死後は、その次男・織田信雄に仕え、2200貫文を知行する。のち羽柴秀吉に仕えた。天正15年(1587年)、正五位上[1]。天正18年(1590年)、従四位下、侍従に任じられる[1]。
天正19年(1591年)2月22日に死去。享年63。家督は弟・重宗(敏宗)が継ぎ、次男・宗敏は重宗の子の敏隆の養子となっている。
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