青山透子
日本のノンフィクション作家 ウィキペディアから
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青山 透子(あおやま とうこ)は、日本航空123便墜落事故についての書籍を出版する作家。「青山透子」は事故当時群馬県多野郡上野村村長の黒澤丈夫が付けたペンネームである。
元日本航空 客室乗務員を名乗り、日本航空123便墜落事故について事故調査委員会の調査結果に疑問を抱き、自ら調査して出版したとしている[1]。
1985年に日本航空の国際線客室乗務員になる。国内線乗務時に当該事故の客室乗務員と同じグループに所属した。退職後は日本航空サービス関連子会社に在籍して、公私団体などで接遇教育や人材育成プログラム開発に携わる。
当該事故から20数年後、先輩たちとの思い出話が中心のエッセイを書いたこときっかけに、事故当時の新聞記事を読み調べた結果、事故調査委員会の調査に疑問を持つ。それまでは本人も「後部圧力隔壁破壊」が事故原因であると思い込んでいた。
東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程を修了し、当該事故に関連する資料、日本国および米国公文書を調査している。
『日航123便墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る』は10万部のベストセラーとなり、本屋大賞 ノンフィクション部門の最終選考に残った。『日航123便墜落遺物は真相を語る』『日航123便墜落の波紋』とともに全国学校図書館協議会選定図書に選ばれた。
2019年7月16日に早稲田大学で開かれたシンポジウム「情報公開と知る権利--今こそ日航123便の公文書を問う」で、弁護士の三宅弘、獨協大学教授の森永卓郎とともに講演した[2]。
弁護士、研究者、有識者らと立ち上げて遺族の吉備素子が会長を務める「日航123便墜落の真相を明らかにする会」の事務局を担当する[1][3]。
「日航123便墜落の真相を明らかにする会」会長と123便副操縦士の遺族が、2021年3月26日にボイスレコーダーとフライトレコーダーのデータ開示を東京地裁へ提訴したが、2022年10月13日に東京地裁は請求を棄却した[4]。訴訟報告会と講演会が2023年2月18日にオンラインなどで開かれ、弁護団の三宅弘弁護士が経過報告して青山が講演した[5]。訴訟の経過は「日航123便墜落の真相を明らかにする会」のホームページで公表されている[6]。
書籍では123便が自衛隊のミサイル誤射によって墜落させられた疑念を主張しているが、事故が起きた1985年8月12日に88式地対艦ミサイルの射撃実験は行われておらず、このミサイルは艦船の破壊が目的なので艦船よりも速く移動する航空機を追尾することはできないなどの矛盾点が指摘されている[7]ほか、 軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏も「もし自衛隊のミサイルが撃ち落していたのであれば、指示を出した人や実行した人全てに箝口令を敷き、且つ痕跡も完璧に消し去らなければならない。そんなことは不可能です。トンデモ本という印象を受けます」と言及している[7]。また書籍では、事故で亡くなった520人の遺体は旅客機事故ではあり得ない焼け方をしていたと主張し、一般人が手に入るはずもない武器燃料で焼かれた可能性を訴えているが、これに対し事故当時日本航空の労組役員を務めていた航空評論家の秀島一生氏は「私自身、日航123便の事故の調査報告書は正確ではないのではないかとの疑念を抱いていますが、それにしてもこの本は話が飛躍し過ぎています。自衛隊のミサイルが機体に当たった根拠が全く示されていませんし、遺体の焼け方が激しかった例としては72年の日航ニューデリー墜落事故が挙げられ、123便に限った話ではありません。事故原因の真相解明を求める声が、この本のような陰謀論と一緒くたにされてしまいかねず、非常に困ります」と発言している[7]。
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