雲谷寺 (沼田市)
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雲谷寺(うんこくじ)は、群馬県沼田市白沢町高平にある曹洞宗の寺院。山号は武尊山、本尊は地蔵菩薩[1][2]。
雲谷寺 | |
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所在地 | 群馬県沼田市白沢町高平1482 |
位置 | 北緯36度40分02.4秒 東経139度08分11秒 |
山号 | 武尊山 |
院号 | 無量寿院[要出典] |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 | 元徳2年(1330年) |
開山 | 天印保宥 |
正式名 | 武尊山 雲谷寺 |
文化財 | 五輪塔(沼田市指定重要文化財)、雲谷寺の大杉(沼田市指定天然記念物) |
法人番号 | 5070005007376 |
1330年(元徳2年)、天印保宥によって開山された[2][1]。元禄11年(1698年)の書付によれば天印和尚を開山、当地の地頭・大友氏を開基として創建されたという[3]。同書付および『加沢記』によれば、薩摩国雲谷寺の末寺だったという[1]。当初は高平山[1]、また後に保鷹山と号し、その場所も雨乞山であったとされる[3]。
沼田は新田義貞の子・義宗が戦死した地であり、当寺の裏山には義宗の墓とされる五輪塔がある。この五輪塔は三基あり、左から順に「聖慶禅尼」、無銘、「長州禅門水禅」と彫られている。義宗の墓は中央の無銘の五輪塔で、聖慶禅尼は義宗夫人の墓、長州禅門水禅は船田長門守経政(新田氏の執事)の墓といわれている[4]。当寺の開山は新田義宗であるともいう[1]。
『加沢記』によれば、関東管領上杉憲政が当寺に一時身を寄せている[1][3]。憲政は上野国(現・群馬県)にも居られなくなり、最終的に越後国(現・新潟県)に落ち延び、長尾景虎(後の上杉謙信)に保護されることになった[4]。
当寺の鐘銘の写しによれば、建崗首座が亡父・玉山崗公(沼田憲義?)のために文明5年(1473年)に鐘を再興したという[3]。この鐘は持ち去られて頼岳寺(長野県茅野市)にあったようである[5]。
また前掲書付によると、天文年間(16世紀中期)ごろ当寺が無住となった折、舒林寺(沼田市材木町)の庭庵和尚が当寺で隠居して以来、舒林寺の末寺となったという[1][3]。
沼田市指定重要文化財
沼田市指定天然記念物
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