長興寺 (田原市)
田原市にある寺院 ウィキペディアから
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寺伝によれば、建治元年(1275年)に後深草上皇の発願により、大覚寺という天台宗の寺院として創建されたという[1][2]。その後臨済宗に改宗するが[3]、室町時代に入ると戦乱の影響で廃寺同然まで衰微した。
文明14年(1482年)に、三河渥美郡の分郡守護代・一色政照(七郎)の菩提を弔うため、猶子である田原城主・戸田宗光が廬嶽洞都に懇請し、弟子の春崗慧成が入寺して大覚寺を再興した[3][4][注釈 1]。この時に曹洞宗に改宗し、寺号を長興寺と改めて、廬嶽を勧請開山とした。宗光は、同寺に寺領50貫文を寄進し、代々の菩提寺と定めている[5]。
宗光の曽孫である戸田康光が天文16年(1547年)に今川氏に滅ぼされると寺領の大半を失うが、田原城代となった朝比奈元智の仲介によって永禄5年(1562年)には全て回復し[6]、さらに今川氏真や徳川家康からの寄進・庇護を受けた。
その後、田原藩第2代藩主・戸田忠能に至るまで、田原戸田家歴代当主の墓所が境内に営まれた。慶安元年(1684年)には朱印地100石を与えられている[7]。
境内西側に歴代の戸田氏当主やその妻などの墓所が整備され、西(墓所正面から向かって左)から以下の順に墓石が南面して並んでいる。
また、宗光の墓の手前(墓所西南隅)には、一色政照(七郎)の墓が東側を向いて建っている。もともとは、田原市大草町にあった宝憧寺[注釈 2]に建てられていた墓で、昭和40年(1965年)に長興寺へ改葬された。
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