長興寺 (田原市)

田原市にある寺院 ウィキペディアから

長興寺 (田原市)map

長興寺(ちょうこうじ)は、愛知県田原市大久保町にある曹洞宗寺院である。

概要 長興寺, 所在地 ...
長興寺
Thumb
本堂
所在地 愛知県田原市大久保町岩下8
位置 北緯34度39分29.4秒 東経137度13分47.6秒
山号 雲龍山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 (伝)建治元年(1275年
開基 (伝)後深草上皇
中興年 文明14年(1482年
中興 戸田宗光(開基)、廬嶽洞都(開山)
正式名 雲龍山 長興寺
文化財 木造観世音菩薩立像(愛知県指定文化財)
法人番号 2180305003059
Thumb
テンプレートを表示
閉じる

概要

戦国時代国人領主戸田氏菩提寺として知られる。

歴史

寺伝によれば、建治元年(1275年)に後深草上皇の発願により、大覚寺という天台宗の寺院として創建されたという[1][2]。その後臨済宗に改宗するが[3]室町時代に入ると戦乱の影響で廃寺同然まで衰微した。

文明14年(1482年)に、三河渥美郡の分郡守護代一色政照(七郎)の菩提を弔うため、猶子である田原城主・戸田宗光が廬嶽洞都に懇請し、弟子の春崗慧成が入寺して大覚寺を再興した[3][4][注釈 1]。この時に曹洞宗に改宗し、寺号を長興寺と改めて、廬嶽を勧請開山とした。宗光は、同寺に寺領50貫文を寄進し、代々の菩提寺と定めている[5]

宗光の曽孫である戸田康光天文16年(1547年)に今川氏に滅ぼされると寺領の大半を失うが、田原城代となった朝比奈元智の仲介によって永禄5年(1562年)には全て回復し[6]、さらに今川氏真徳川家康からの寄進・庇護を受けた。

その後、田原藩第2代藩主・戸田忠能に至るまで、田原戸田家歴代当主の墓所が境内に営まれた。慶安元年(1684年)には朱印地100を与えられている[7]

境内

主な建築

戸田氏墓所

Thumb
正面から見た戸田氏墓所(2016年4月)
Thumb
戸田氏墓所案内板(2016年4月)

境内西側に歴代の戸田氏当主やその妻などの墓所が整備され、西(墓所正面から向かって左)から以下の順に墓石が南面して並んでいる。

また、宗光の墓の手前(墓所西南隅)には、一色政照(七郎)の墓が東側を向いて建っている。もともとは、田原市大草町にあった宝憧寺[注釈 2]に建てられていた墓で、昭和40年(1965年)に長興寺へ改葬された。

文化財

愛知県指定文化財

木造観世音菩薩立像[10][11]
高さ約110cm、材の一木造平安時代-鎌倉時代の作。像の表面全体にノミ痕が細かく刻まれており、眉や唇などに僅かに彩色が施されている。通称「鉈彫観音」。境内の収蔵庫に保管され、年1回公開している[12]

所在地

アクセス

注釈

  1. 境内説明板では、廬嶽本人を招聘したとある。
  2. 一色政照が退隠した屋敷跡へ、政照没後に戸田宗光が建てた寺。昭和29年(1954年)に廃寺となる。[9]
  3. 戸田尊次の五男。旗本御小姓組番士)。戸田忠次の孫にあたり、忠継とも記される。
  4. 守隆は戸田忠能の岳父にあたり(忠能の正室・久昌院は、守隆の娘)、その関係で守隆とその室・天翁院の墓が所在するとみられる。なお守隆と天翁院の墓は、兵庫県三田市の心月院と三重県鳥羽市常安寺にもある。

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.