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藤山 ハル(ふじやま はる、1900年(明治33年)4月24日 -1974年(昭和49年)3月19日)は、樺太出身のアイヌ語・アイヌ文化の伝承者。
南樺太の西海岸北部ライチㇱカ(のちの樺太恵須取郡珍内町)出身。 アイヌ名はエソㇹランケマㇵ (Esohrankemah)。通称はフㇱコ (Husko)。 父・原サダユキ、母・エソㇹランマ (Esohranma) のもとに生まれ、幼い時より年寄りにかわいがられ、アイヌ語や伝統文化を吸収しながら成長した[1]。
1945年(昭和20年)日ソ中立条約を破棄したソ連軍の樺太侵攻後、北海道に移住し、1954年(昭和29年)常呂郡常呂町(ところちょう)に住むことになった。
生涯を通して、アイヌ語・アイヌ文化の伝承者として、数々の研究者に協力し、樺太アイヌの言語や文化の記録・研究に大きな貢献をなした。 代表的なものとしては、服部四郎編『アイヌ語方言辞典』や、村崎恭子『カラフトアイヌ語』、大貫恵美子 (Emiko Ohnuki-Tierney) "Ainu of the Northwest Coast of Southern Sakhalin" などがある。
長女・金谷フサ、次女・白川八重子をはじめ、後輩の育成にも尽力し、樺太アイヌの文化を後世に伝えることについても大きく貢献した。 その知識や技能は、言語や口承文芸だけでなく、歌謡、楽器(トンコリ)、服飾、料理など、多岐にわたった。 また、トゥス(神がかり)を行うシャーマンでもあった。
1974年に第2のふるさととして永住を決め、住み続けた常呂町で死去。享年74。 彼女の眠る常呂の墓地には記念碑が建てられている。
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