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日本の公卿・歌人 ウィキペディアから
藤原 定方(ふじわら の さだかた、貞観15年(873年) - 承平2年8月4日(932年9月11日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。内大臣・藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈従一位。三条右大臣と号する。
宇多朝の寛平4年(892年)内舎人へ任官する。寛平7年(895年)陸奥掾を経て、寛平8年(896年)従五位下・尾張権守に叙任される。寛平9年(897年)には甥の敦仁親王の即位(醍醐天皇)に伴い右近衛少将に任ぜられた。
その後は、昌泰4年(901年)従五位上・左近衛少将、延喜3年(903年)正五位下、延喜6年(906年)従四位下・右近衛権中将と、近衛次将を務めながら順調に昇進し、延喜9年(909年)参議に任ぜられ公卿に列す。
延喜10年(910年)従四位上に昇叙されると、延喜13年(913年)には上位者6名を越えて従三位・中納言に叙任されるなど天皇の外戚として急速な昇進を果たす。その後も延喜20年(920年)大納言、延喜21年(921年)正三位と昇進を続け、延長2年(924年)右大臣に昇進して、藤原北家嫡流の藤原忠平と左右の大臣に並んだ。延長4年(926年)従二位に至る。
朱雀朝の承平2年(932年)8月4日薨御。享年60。最終官位は右大臣従二位。没後の8月10日になって従一位を追贈された。
三条に邸宅があったことから三条右大臣と呼ばれた。
『古今和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に13首入集[1]。家集に『三条右大臣集』がある。
『公卿補任』による。
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