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平安時代の後期の公卿、歌人。藤原実季の長男。正二位・権大納言。堀河天皇の近臣。『堀川院御時百首和歌』に出詠。勅撰集『後拾遺和歌集』以下に57首入集。家集『公実集』。 ウィキペディアから
藤原 公実(ふじわら の きんざね)は、平安時代の後期の公卿、歌人。正二位、権大納言に至り、三条大納言と称す。
大納言実季の長男で、母は藤原経平女。閑院家の祖・太政大臣公季の玄孫にあたる。弟に保実・仲実、妹に苡子(堀河天皇女御、鳥羽天皇生母)らがいる。白河院とは従兄弟に当たるため朝廷の信任も篤く、堀河天皇に近臣として仕え、妻光子は堀河・鳥羽二代の乳母となった。歌壇でも活躍し、長治2年(1105年)頃奏覧の『堀河院御時百首和歌』に出詠し、後拾遺集以下の勅撰和歌集に57首が入集している。また家集『公実集』(断簡のみ)がある。
公実の逸話として、嘉承2年(1107年)に甥が鳥羽天皇として即位した時、公実は摂関家の当主忠実の若年であることを侮って、幼帝の外舅の地位にある自らこそ摂政に就任すべしと主張したが、「五代もの間、並の公卿として仕えた者が今摂関を望むとは」と白河院別当の源俊明に一蹴されたという話がある[1]。また、鳥羽天皇の即位直後、天皇の側近く仕える公卿が行うべき作法を天皇の伯父である公実が知らなかったことを藤原忠実から批判されている[2][3]。その公実も、鳥羽天皇の即位からわずか4か月後に病死している。享年55。
しかし、公実の権勢はその子供たちの出世にそのまま反映され(実行は太政大臣、実能は左大臣、末娘璋子は鳥羽天皇中宮)、三条・西園寺・徳大寺の三清華家の共通の祖となった。
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