藤原苡子
平安時代後期の貴族女性。堀河天皇の女御。贈皇太后。 ウィキペディアから
藤原 苡子(ふじわら の いし/しげこ、承保3年(1076年) - 康和5年1月25日(1103年3月5日))は、平安時代後期の貴族女性。第73代堀河天皇女御、第74代鳥羽天皇生母。父は大納言藤原実季、母は藤原睦子(藤原経平女)。同母兄に藤原公実がいる。
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生涯
承徳2年(1098年)堀河天皇に入内、女御の宣旨を受ける。康和2年(1100年)従四位下。
一度の流産を経て康和5年(1103年)第一皇子宗仁親王(鳥羽天皇)を出産するが、難産のため死去。同年従二位を追贈。嘉承2年(1107年)鳥羽天皇の即位で皇太后を追贈。
苡子は白河院の従姉妹(院の生母茂子の姪)で、入内に当たっては院自ら世話をしたという。中宮篤子内親王は高齢で子女に恵まれず、皇子出産の期待をかけられた苡子は宗仁親王(後の鳥羽天皇)を産んだが、産後の肥立ちが悪く28歳で死去した。なお、苡子の兄公実は鳥羽天皇の外戚に、また姪の璋子は鳥羽天皇の中宮となるなど、閑院流発展の元となった。
参考文献
- 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 904
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