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大正・昭和期の農林官僚、政治家、華族 ウィキペディアから
細川 利寿(利壽、ほそかわ としほぎ[1] / としほき[2]、1890年(明治23年)10月1日[1] - 1946年(昭和21年)6月18日[1][2])は、大正・昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。
子爵細川利文(細川利永の婿養子)の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1944年(昭和19年)5月15日、子爵を襲爵した[1][5]。
学習院を経て、1915年(大正4年)5月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][4][6][7]。1918年(大正7年)10月、高等試験行政科試験に合格[6]。1919年(大正8年)農商務省に入省し山林局属に任官した[2][4][6]。
以後、山林事務官、特許局事務官、農商務事務官、農林事務官兼農林大臣秘書官、農林書記官、外務書記官、農林省畜産局長、同蚕糸局長などを歴任し、1928年(昭和3年)に退官した[2][4][6]。その後、国策パルプ専務取締役、同常任監査役、大日本再生製紙取締役などを務めた[2][4]。
1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、研究会に所属したが、翌月に死去した[2][10]。
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