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第5SS山岳軍団(ドイツ語: V. SS-Gebirgs-Korps)は、第二次世界大戦後期に武装親衛隊に存在した部隊である。1943年から1944年12月にかけて第2装甲軍隷下でユーゴスラビアでパルチザンと戦い、1945年には第9軍隷下としてオーダー川地方やベルリンの戦いで戦った[1][2]。
1943年7月1日、軍団の総司令部がベルリンに設立された。軍団部隊の編成は、プラハ近郊の訓練場「ミロヴィッツ」で行われた。10月、同軍団はボスニアに移送され、第2装甲軍の指揮下でヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンの掃討作戦に投入された。この頃、軍団の司令部はモスタルにあった。
1944年3月、軍団は『第5SS義勇山岳軍団(V. SS-Freiwilligen-Gebirgs-Korps)』と改称された。9月から始まったソビエト赤軍によるベオグラード攻勢のため、軍団は1944年末にボスニアから撤退しなければならなかった。その過程で、一時的にE軍集団の指揮下に入った。
1945年2月、赤軍がヴィスワ=オーデル攻勢で東部戦線を突破した後、軍団はフランクフルト (オーダー)のグベン地区(Guben)に移され、ヴァイクセル軍集団の第9軍の下に置かれた。4月のシーロー高地での戦いの後、軍団はハルベの戦いにおいて赤軍に包囲され壊滅した。その後、軍団は西に撤退し、タンガーミュンデ付近でアメリカ軍に降伏した。
1943年12月26日時点
1944年9月16日時点
1945年3月1日時点
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