第33SS武装擲弾兵師団
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第33SS所属武装擲弾兵師団 「シャルルマーニュ」(フランス第1)(独:33. Waffen-Grenadier-Division der SS "Charlemagne"(französische Nr. 1) / 仏:33e division SS de grenadiers volontaires Charlemagne)は、第二次世界大戦期のナチス・ドイツ武装親衛隊フランス人義勇兵師団。
概要 創設, 廃止 ...
第33SS武装擲弾兵師団 | |
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![]() 第33SS武装擲弾兵師団 シャルルマーニュ(フランス第1) の師団章。左半分のライヒスアドラー(帝国鷲)がドイツを象徴、右半分の3つの百合がカール大帝(シャルルマーニュ)を象徴している[1]。 | |
創設 | 1945年2月10日 |
廃止 | 1945年5月 |
国籍 | ![]() |
所属 | ![]() |
規模 | 師団(実際は師団以下の兵力) |
兵種 | 擲弾兵 |
人員 | ![]() |
所在地 | |
上級部隊 | ヴァイクセル軍集団 第2軍 第18山岳軍団 |
愛称 | |
モットー | |
主な戦歴 | 独ソ戦 ポメラニアの戦い(1945年) ベルリン市街戦 |
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ドイツ陸軍のフランス人義勇兵部隊「反共フランス義勇軍団」(Légion des Volontaires Français contre le Bolchévisme)、武装親衛隊のフランス人義勇兵部隊「第8フランスSS義勇突撃旅団」(8. Französische-SS-Freiwilligen-Sturmbrigade)、ヴィシー政権下の民兵組織フランス民兵団、その他の組織のフランス人義勇兵を基幹として1944年秋から旅団として編制が開始され、1945年2月に師団に昇格。1945年2月下旬から3月の間に東部戦線のポメラニアでソビエト赤軍と交戦した。
独ソ戦の最終局面である1945年4月24日、第三帝国首都ベルリンがソビエト赤軍の包囲下にある中、師団の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵はグスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg)とアンリ・フネSS義勇大尉(SS-Frw. Hstuf. Henri Fenet)に率いられフランスSS突撃大隊としてベルリン市街戦に参加し、5月2日のベルリン陥落まで熾烈な防衛戦闘を繰り広げた。