フランスSS突撃大隊
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フランスSS突撃大隊(独:Französische SS-Sturmbataillon)[注 1]は、第二次世界大戦(独ソ戦)末期ドイツ国(ナチス・ドイツ)の武装親衛隊フランス人義勇兵部隊(1945年4月末のベルリン市街戦でソビエト赤軍と交戦した武装親衛隊フランス人義勇兵1個大隊)。
概要 フランスSS突撃大隊 Französische SS-Sturmbataillon, 創設 ...
フランスSS突撃大隊 Französische SS-Sturmbataillon | |
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創設 | 1945年4月24日 |
廃止 | 1945年5月2日 |
所属政体 | ドイツ国(ナチス・ドイツ) |
所属組織 |
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部隊編制単位 | 大隊( フランス人義勇兵約300名) |
担当地域 | ベルリン |
戦歴 | ベルリン市街戦 |
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1945年3月に東部戦線のポメラニアで壊滅した第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne“)の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵で構成。アンリ・フネSS義勇大尉(SS-Frw. Hstuf. Henri Fenet)を指揮官として1945年4月末のベルリン市街戦に参加し、ベルリン市街南東~中央部(ノイケルン区、テンペルホーフ区、クロイツベルク区、ミッテ区)における市街戦で赤軍戦車を50輌以上[注 2](資料・文献によっては60輌[3]、62輌[4])撃破した。
彼らと共にベルリンに到着し、現地で戦闘中の第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」の師団長に就任したフランスSS部隊総監・元「シャルルマーニュ」師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg)は戦後、ベルリン市街戦における武装親衛隊フランス人義勇兵の奮戦を次のように総括した[2][注 3]。
「 | フランス人たちがいなかったら、ロシア軍は8日早くベルリンを制圧していただろう・・・ | 」 |