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日本の建設技官。河川局長 ウィキペディアから
竹村 公太郎(たけむら こうたろう、1945年〈昭和20年〉10月12日 - )は、日本の作家、歴史学者、土木工学者、元建設・国交官僚。学位は博士(工学)(名城大学・2004年)。研究分野は土木工学、特に河川工学。神奈川県出身[1]。
建設省在職時より島 陶也(しま とうや)の筆名で、建設関係業界紙を中心に数々のエッセイを連載している。
現在、財団法人リバーフロント整備センター理事長、日本水フォーラム代表理事、同フォーラム事務局長を務める。
1970年3月、東北大学大学院工学研究科修士課程(土木工学)を修了。同年4月、建設省に入省。
主に河川畑を歩み、関東地方建設局川治ダム工事事務所、北陸地方建設局阿賀川工事事務所、土木研究所計画官兼主任研究員、中部地方建設局河川部、河川局河川計画課、ダム技術研究所主任研究員、関東地方建設局宮ヶ瀬ダム工事事務所長、中国地方建設局河川部河川調査官、河川局開発課建設専門官、河川局開発課開発調整官、中部地方建設局河川部長、河川局開発課長、近畿地方建設局長を経て、1999年、建設省河川局長に就任。2001年1月、中央省庁再編に伴い国土交通省に異動し、同省河川局長に就任。2002年7月、国土交通省を退官。
2004年4月、名城大学より博士(工学)の学位を取得(いわゆる論文博士[注釈 1])。学位請求論文は「ダムの排砂対策とその施工に関する研究」である[2]。
退官後、ダム水源地環境整備センター顧問、リバーフロント整備センター理事長に就任。2006年5月、日本水フォーラム代表理事・事務局長。
中部地方建設局(以下、地建)河川部長在任時は、当時問題となっていた長良川河口堰建設問題で、当時保有していた地建の全生データを、パネルを用いて公開に踏み切った。
また、建設省河川局長在任時、朝日新聞のコラム「窓」の「建設省のウソ」におけるデータ等に対して、公開質問状のやり取りをインターネット上で全文公開し、物議をかもした。また、この責任は竹村自身が負ったとされる。
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