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神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年11月29日 - 1990年10月24日)は、昭和期の日本の詩人・ドイツ文学者。本名は光太郎(みつたろう)[1](姓の読みを「じんぼう」とする文献もある)。
神保 光太郎 じんぼ こうたろう | |
---|---|
誕生 |
1905年11月29日 山形県山形市 |
死没 | 1990年10月24日 |
墓地 | 新座市の平林寺 |
ジャンル | 詩人・ドイツ文学 |
文学活動 | 日本浪漫派 |
ウィキポータル 文学 |
山形県山形市生まれ[2]。山形県立山形中学校から山形高校を経て、京都帝国大学文学部独文科を卒業。在学中から同人誌に詩や短歌を発表して新散文詩運動の一翼を担った。
1934年、埼玉県浦和市(現:さいたま市)の別所沼のほとりに家を新築し、生涯にわたって活動拠点とした[2]。この別所沼の家に、神保を兄と慕う立原道造の来訪をしばしば受けている。1935年、保田與重郎や亀井勝一郎らと『日本浪曼派』に参加し[2]、詩誌『四季』などに作品を発表した[2]。その一方で、国粋主義への傾斜を強め、大東亜戦争中は占領したシンガポール(昭南市)で1942年5月1日から6ヶ月間、昭南日本学園の校長を務めた[3]。戦後の1949年からは日本大学芸術学部教授を務めた[2]。
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山形県内の学校の校歌には、神保の作詞によるものが多い。山形の名勝(蔵王山、最上川、鳥海山など)が学校の所在地に合わせて書かれている。その他山形県外の学校の作詞に携わっている。
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