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田中 幾三郎(たなか いくさぶろう、1896年(明治29年)12月10日[1] - 1967年(昭和42年)11月2日[2][3][4])は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。
三重県[2][3]北牟婁郡尾鷲町矢ノ浜町[4](現尾鷲市)で生まれる。代用教員などを務め[4]、苦学して1920年(大正9年)日本大学専門部法律科を卒業[2][3][4]。高等試験司法科試験に合格し[4]弁護士を開業した[2][3][4]。内閣拓殖局嘱託[1]、東京地方裁判所司法委員、民主法曹協会会長などを務めた[2][3]。
1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に三重県第2区から右派社会党公認で出馬したが落選[5]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して初当選[2][3][5]。以後、第29回総選挙まで再選され[6]、衆議院議員を連続4期務めた[2][3][4]。この間、裁判官弾劾裁判所裁判員、国土総合開発特別委員会委員、日本社会党三重県支部連合会長、同顧問、同党綱紀粛正特別委員長などを務めた[2][3][4]。民主社会党の結成に加わり、同党政策審議会法務部長、同選挙対策副委員長、同三重県連合会長、同国会対策委員長などを歴任した[2][3][4]。その後、第30回総選挙に立候補したが次点で落選した[7]。
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