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狭義の「生田原」は旧生田原町の役場が置かれた市街(遠軽町生田原)を指すが、生田原町他の新設合併により誕生した遠軽町(新)では、旧生田原町の町字で「生田原」を含まないものに関しては、生田原を冠した名称に変更されている。
旧生田原町の9の字に冠される[2]。生田原地域の字名は1944年(昭和19年)2月11日に、生田原村(当時)で実施された字名の整理・行政区との区画不一致解消に伴い改名して成立したもので、大半は当時の村長が神道の「大祓詞(祝詞のひとつ)」に因んだ字名を選び命名した[3]。
現町字名 | よみ | 旧町字名 | 由来 |
---|---|---|---|
生田原 | いくたはら | 生田原 | 旧地名を踏襲。北海道庁からは下略して「生田(いくた)」とする提案もあったが、「田と原を生む生産性に富んだ中心地にふさわしい地名」という地元の主張から決定した。 |
生田原旭野 | いくたはらあさひの | 旭野 | 字名改称前からの旧名を踏襲。旭峠に通じる高台地帯であるため、「高天原」から引用した「高天」の名称も考えられたが、従来名でも「眺望ひらけ旭日昇る地」として通じるものがあるとして踏襲した。 |
生田原伊吹 | いくたはらいぶき | 伊吹 | 当初は「科戸(しなど)」の名称も考えられたが、関連の深い八重地区とあわせ、「八重雲を伊吹放たん」から命名。 |
生田原岩戸 | いくたはらいわと | 岩戸 | 白土や鉱石を産出するため、「天岩戸」から命名。 |
生田原清里 | いくたはらきよさと | 清里 | 美林が繁茂していることから、「繁木(しげき)」とも考えられたが、生田原川上流の清玲の里であることから「清め給え」より命名。 |
生田原豊原 | いくたはらとよはら | 豊原 | 「広大で平坦で肥沃な農耕地」であることに因み、「豊芦原」を略して名付けたものである。当初は「益人(ますと)」の名称も考えられていた。 |
生田原水穂 | いくたはらみずほ | 水穂 | 村で最も広大な農耕地であり、開拓の発祥地であるため、「瑞穂国(日本国の美称)」の漢字を平易にして命名。 |
生田原八重 | いくたはらやえ | 八重 | 当初は「御霧(みぎり)」の名称も考えられたが、関連の深い伊吹地区とあわせ、「八重雲を伊吹放たん」から命名。 |
生田原安国 | いくたはらやすくに | 安国 | 当地が佐呂間川沿いに往来する人々の休息の地であり、付近が豊穣な農耕地であることから、「安国と平けく」の部分を引用し命名。 |
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