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中華民国の省 ウィキペディアから
甘粛省(かんしゅくしょう)は、かつて中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国甘粛省全域及び寧夏回族自治区の一部に相当する。
清代の甘粛省の管轄地域を継承して成立した。1928年(民国17年)10月、寧夏行政区に寧夏省が、西寧行政区に青海省が新設されその管轄区域は大幅に縮小した。
1911年(宣統3年)、辛亥革命が勃発すると11月21日に寧夏軍政府が設立されるが、この軍事政府は同月に瓦解している。
1912年(民国元年)3月11日、甘粛臨時軍政府が甘水に設置、甘粛都督を設置し軍政長官と定め、同時に清代の官制である布政使、提学使、提法使がそのまま使用された。1913年(民国2年)、軍政と民政の分割を目的に布政使を民政長と改称、民政長官と定め、1914年(民国3年)に民政長は巡按使、1916年(民国5年)に省長と改称された。
1927年(民国16年)6月、国民党鄭州会議は甘粛省政府の設置を決定、武漢国民政府に帰属した。1931年(民国20年)8月、南京国民政府は甘粛省政務委員会を設置している、以降は南京国民政府の管轄に置かれた。
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備注 |
---|---|---|---|---|
1 | 趙惟熙 | 1912年3月 | - | |
2 | 張広建 | 1914年3月 | - | |
3 | 蔡成勲 | 1920年12月 | - | |
4 | 陸洪濤 | 1922年5月 | - | |
5 | 馮玉祥 | 1925年8月 | - | |
6 | 李鳴鐘 | 1926年1月 | - | |
7 | 劉郁芬 | 1927年6月 | - | |
8 | 馬鴻賓 | 1930年11月 | - | |
9 | 邵力子 | 1931年12月 | - | |
10 | 朱紹良 | 1933年5月 | 1935年11月 | |
11 | 于学忠 | 1935年11月 | 1937年3月 | |
12 | 朱紹良 | 1937年3月 | 1940年11月 | 就任前に賀耀組代理 |
13 | 谷正倫 | 1940年11月 | 1946年5月 | |
14 | 郭寄嶠 | 1946年10月 | 1949年7月 | |
15 | 馬鴻逵 | 1949年7月 | - | 未就任 |
丁宜中 | 1949年7月 | 1949年9月 | 代理 | |
16 | 王治岐 | 1949年11月 | 1949年12月 |
民国建国当初は清代の西寧道、寧夏道、鞏秦階道、平慶涇固化道、甘涼道、安粛道が沿襲されていたが、1913年(民国2年)4月、北京政府は甘粛都督の趙惟熙が提出した道制計画を承認、蘭山、隴南、隴東、朔方、海東、河西、辺関の7道を設置、1914年5月には蘭山、渭川、涇源、寧夏、西寧、甘涼、安粛と改称している。1927年(民国16年)6月、道制が廃止となり蘭山、渭川、涇源、寧夏、西寧、安粛の6行政区に改編されている。1928年(民国17年)、行政区制度は廃止され、省県の二級地方行政制度が確立した[1]。
中華人民共和国成立直前の管轄行政区画は下記の1市69県2設治局。(50音順)
1932年(民国21年)4月、全省を14区に分割した行政督察区制度が施行された。1938年(民国27年)8月には全省を12区、11月に13区、1942年(民国31年)3月に再び12区に改編され、中国共産党による「解放」まで沿襲された。
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