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戦時に、無防備であることを宣言した都市 ウィキペディアから
無防備都市宣言(むぼうびとしせんげん)とは組織的降伏の一種。戦争もしくは紛争において、都市に軍事力が存在していない開放地域(英語: Open City)であると宣言し、敵による軍事作戦時の損害を避ける目的で行われる。
特定の都市がハーグ陸戦条約第25条に定められた無防守都市であることを紛争当事者に対して宣言したことを指す。現在、正確には無防備地区宣言と呼ばれ、ジュネーブ諸条約追加第1議定書第59条に基づき、特定の都市、地域を無防備地域(英語: Non-defended localities)であると宣言することを指す。
この地域に対して攻撃を行うことは戦時国際法である第1追加議定書によって禁止されている。紛争当事国に特段の合意がある場合を除いて、この地域から全ての戦闘員、移動可能な兵器、軍事設備が撤去され、また、地域において軍隊や住民が軍事施設を敵対的に使用すること、軍事行動の支援活動を行うことが禁止される。つまり、無防備地区宣言とは、その地域が軍事的な抵抗を行う能力と意思がない地域であることを宣言することによって、その地域に対する攻撃の軍事的利益をなくし、そのことによって、その地域が軍事作戦による攻撃で受ける被害を最小限に抑えるためになされる宣言である。ただし、これが有効に機能するのは当事者たちが法を忠実に守った場合だけである。
無防備地区宣言を行うことができるのは、その地域を統治している中央政府、または軍事活動を統制している軍隊であり地方自治体の行う無防備都市宣言には国際法上の意味は存在しないと考えられている[1]。 さらに、無防備地区に対して禁止されている行為は物理的な攻撃のみであり、占領、占領行政、および(占領後の占領軍による)その地域の軍事的な使用は禁じられていない。いわば都市単位の無条件降伏と言える。
無防備地区に関してはジュネーヴ条約追加第1議定書に以下の条文が定められている[2]。
1899年、上記のジュネーヴ条約追加第1議定書の規定の前身にあたるハーグ陸戦条約の第25条に、「防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス」と定められた。後年の第一追加議定書において、無防備都市宣言とは紛争相手国の占領を無抵抗で受け入れることと位置づけられたが、これを先取りした事例といえる。
しかし、この「無防備都市」とは誰が行うのか、どのような条件で認められるかは不明確であり、第一次世界大戦、第二次世界大戦をはじめとする過去の戦争では、口実を設けては幾度となくこの条約は破られてきた。過去に無防備都市宣言が無視された代表的な例では以下のものが挙げられる。
また、終戦を意味する国家の降伏と異なり、無防備都市宣言を行った都市がそれ以降の戦争から離脱できるわけではなく、戦局の変化によっては再び戦火に見舞われる可能性がある。第二次世界大戦のさなかの1940年、フランス政府はパリの無防備都市を宣言してパリを戦火から逃れさせたが、1944年の連合軍再侵攻によってパリは戦火に見舞われた。ドイツのアドルフ・ヒトラー総統は従前の無防備都市宣言に一切拘束されず、パリにおける徹底抗戦と、破壊命令すら出していたが、様々な事情が重なって破滅的な事態は免れ得た(パリの解放)。イタリアの各都市やアメリカの植民地であるフィリピンのマニラも同様に無防備都市宣言後に再度戦場となっている。また、チャンネル諸島の事例のように占領軍やその敵対勢力によっても市民が被害を受けることもある。チャンネル諸島の事例では、ドイツ軍はイギリス本国系住民を強制収容所に送り込んだ。1944年以降連合軍はチャンネル諸島の封鎖を行い、軍民ともに終戦まで欠乏に苦しんだ(ナチス・ドイツによるチャンネル諸島占領)[4]。
無防備地域宣言の成功例としては、無防備地域宣言運動全国ネットワークなどから
などが挙げられているが、
として疑問視する意見も強い。
1977年、ジュネーヴ条約追加第1議定書に無防備地域宣言を定めた第59条が盛り込まれた。上記のように誰がどのような条件の元において宣言するのかが明確化された点で、ハーグ陸戦条約に定められた「無防備都市」とは若干意味合いが異なることについては注意が必要である。また、
近年、ジュネーヴ条約が破られた/無視された例としては次のようなものが挙げられる。
「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」という団体により、日本の地方公共団体(地方自治体)のレベルで無防備地域宣言を行うための条例制定の直接請求運動が全国各地でなされている。
※カッコで囲んである自治体は議会が無防備地域条例案を否決している。
なお、これまで直接請求された条例案に付した意見書に賛成意見を記載した首長は上原公子国立市長と藤沢純一箕面市長のみである(上原は2007年、藤沢は2008年にそれぞれ市長の座を降りている)。このうち、上原は無防備地域宣言運動全国ネットワークの呼びかけ人、すなわち、運動の中心人物である。
リベラル系首長の上田文雄札幌市長(弁護士)は、条例案には実効性が認められないこと、地方自治法の規定に抵触することから反対意見を付記した。また、札幌市議会総務委員会での全会一致の反対で否決されたことをうけて、市長の権限では無防備地域を宣言するために必要なジュネーブ条約追加第1議定書が要求する4条件を満たせないと述べた。
地方議会において自由民主党と公明党の会派は無防備地域宣言に関する条例制定には反対の姿勢をとっている。民主党と日本共産党は運動の開始当初は賛成に投票していたものの、2006年6月に行われた千葉県市川市議会での採決で退席・棄権に転じ、2006年12月までの議会審議では退席・棄権の態度を継続していたが、2007年1月の東京都目黒区議会において反対に転じ、以降は反対の姿勢を継続している。社会民主党系の会派は条例制定運動の始まりとなった大阪市での審議以降一貫して賛成の態度を表明している。
地方公共団体が行う無防備地域宣言は以下の点で問題点があり、国際法上の実効力はないとみられる。[要出典]そのため、「平和都市宣言」以上の意味は持たないとの意見が大勢を占めている。[要出典]
地方自治体が無防備地域宣言の条例のみによって住民の個別の抵抗を抑えることは難しいが[独自研究?]、例えば、スイス政府発行のブックレット『民間防衛』によれば、個別の抵抗は慎むべきであるとされる[10]。
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