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漢文で書かれた書物 ウィキペディアから
漢籍(かんせき)とは、中国大陸において著された書籍であり、一般に漢文で書かれた書物を指す。また日本で著された和書(国書)に対応する分類として用いられる。漢書(かんしょ[注 1]、からぶみ)とも言う。
定義は諸説あり、広義には前述の通り漢文で書かれたあらゆる書物を指すとする説もあるが[1]、狭義には、前近代の中国において中国語(漢文)で書かれた古典籍を指し、中国以外の東アジアの漢文古典籍や、近代以降に出版された新しい学問体系に従って書かれたものは含まれない[2]。また一般的に、仏教関連の書物は仏典として漢籍に含めない。洋書と対比した時には、和書と漢籍をあわせて和漢書と総称する場合もある。
中国で出版された書を日本で復刻・翻刻したものは「和刻本」と呼ぶ。また朝鮮半島で出版されたものは「韓本(朝鮮本・高麗本)」、ベトナムで出版されたものは「安南本(越南本)」と呼ぶ[3]。和刻本に対して、中国で出版されたものを特に「唐本」と呼ぶこともある。江戸時代の日本には、和刻本が数多く刊行された。
本来は袋とじにして糸で綴じた線装本であることが多かったが[注 2]、近代以降に出版したものには洋装本が多い。
対応する中国語は「古籍」(拼音: )だが、日本語と同様定義に諸説ある[4]。また中国では1980年代から、中国以外の漢文古典籍を「域外漢籍」と呼ぶ研究が盛んになっている[5]。
通常、中国の伝統的な図書分類法である経・史・子・集という四部分類で分類される。その模範となる『四庫全書総目提要』の分類に従いつつ、その不備を補うかたちで各所蔵機関で独自の分類がとられている。なお漢訳仏典については子部・釈家類に入れられることもあるが、漢籍から独立させられ、仏典独自の分類がされることが多い。
日本で標準的に参照されることの多い京都大学人文科学研究所や東京大学東洋文化研究所の漢籍目録では、四部分類に叢書部を加えて五部とし、近代の書籍は別に新学部を設けてそこに日本十進分類法に従って収める。集部に小説類を設けて白話小説をそこに収め、伝統的な筆記小説(子部小説家)とは分ける、などの工夫を加えている。
江戸時代の各藩などが学問ために漢籍を収集しており、その蔵書は明治時代に設立された書籍館から帝国図書館に受け継がれた。明治12年(1879年)、漢学者の岡千仞が幹事に就任した後から、漢籍の収集、受け入れが積極的に行われた。国学者の榊原芳野や公卿の醍醐忠順から寄贈された和刻本等の受け入れ、京都円光寺からは仏書・漢籍・朝鮮本が購入された。さらに東京帝国大学教授の服部宇之吉が清国並びに周辺国で、明治33年(1900年)から新刊購入を行うなど、国費による新刊の収集も進み、現在の国立国会図書館所蔵「漢籍」の大半が明治時代に形成された。
漢籍は印刷方法により、次のような種類に分けられる。
いったん出版された本を複製する場合には次のような用語が使われる。
漢籍は装幀法により、次のような種類に分けられる。
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