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漕運総督(そううんそうとく、満洲語:ᠵᡠᠸᡝᡵᡝ
ᠵᡝᡴᡠᡳ
ᠪᠠᡳ᠌ᡨ᠋ᠠ
ᠪᡝ
ᡠᡥᡝᡵᡳ
ᡴᠠᡩ᠋ᠠᠯᠠᡵᠠ
ᠠᠮᠪᠠᠨ、juwere jekui baita be uheri kadalara amban)は、明朝と清朝で、漕運(官による穀物の河川・運河での輸送)を統括した官職。従一品または正二品。
1451年、「総督漕運兼提督軍務巡撫鳳陽等処兼管河道」が設置され、南直隷淮安府に駐在した。数省にまたがる1500キロメートルに及ぶ運河を管理するだけでなく、明代と清の初期(1649年-1659年)には鳳陽巡撫を兼ね鳳陽府・淮安府・揚州府・廬州府・徐州・和州・滁州の行政を担当した。
そもそも隋唐以後の歴代王朝は運河での食糧輸送を重視して、国家の経済の大動脈とした。隋が大運河を建設して以降、淮安に漕運を担当する役所を設けた。宋は江淮転運使を設置し、東南六路の穀物は淮河を経て首都の開封に入った。明では漕運総督が設置される前には、永楽帝が1404年に武官である漕運総兵を設置して、12万の軍隊を率いて、漕運を専門に担当した。1451年に文官の漕運総督が設置され、漕運総兵と同等の権力を有した。1621年、漕運総兵は廃止された。
漕運総督の下には文武官270人の官員がいて、さらに倉庫・造船・船舶の護衛などを担当する2万人の人員がいた。
1860年、南河総督の廃止に伴い、総督府が淮安府から南河総督府のあった清江浦に移された。
1901年、食糧の輸送が上海から天津へ海路で、天津から北京まで鉄道で輸送するよう改められた。
1905年、漕運総督は廃止され、代わりに江淮巡撫が設置されたが、これも同年に廃止された。
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