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安土桃山時代から江戸時代初期の武将。片桐池田家初代。池田恒興の四男。片桐俊元(-1597)の養子。河内守。備前下津井領主3万2000石 ウィキペディアから
天正3年(1575年)、池田恒興の四男として尾張国犬山に誕生した。幼少時に片桐俊元の養子となり、慶長2年(1597年)に俊元が死去すると、家督と三河国新庄7000石の所領を継いだ。
『池田家履歴略記』によれば、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで兄・輝政と共に東軍に与して織田秀信の籠る岐阜城攻めで軍功を挙げ、本戦にも参戦した。この功により、戦後に1万5000石を加増され2万2000石となり、播磨国赤穂城主に任じられたが、一説には東西どちらが勝っても池田氏が存続できるように、兄の命令で西軍に与していたともいわれる。
その後、さらに1万石の加増を受け、最終的に備前国下津井3万2000石の領主となる(1603年)。江戸城普請や駿府城普請でも功績を挙げた。
慶長12年(1607年)7月20日、伊勢国庄野庄にて死去した。享年33。家督は子の長明が継いだ。長政の家系は輝政の孫・池田光政から始まる岡山藩の家老(片桐池田家)として明治時代まで存続した。
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