Loading AI tools
江戸時代後期の大名。高松藩第8代藩主 ウィキペディアから
松平 頼儀(まつだいら よりのり)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。讃岐高松藩の第8代藩主。官位は従四位上・左近衛権中将、讃岐守。
第6代藩主・松平頼真の長男として誕生した。母は側室の即就院(中山氏)。
寛政4年(1792年)、叔父で第7代藩主であった松平頼起の跡を継いだ。当初は緊縮財政を行っていたが、次第に奢侈に傾き、藩札の乱発により物価高騰と紙幣の価値低下(インフレーション)を起こした。また、殖産振興策にも失敗し、さらに江戸屋敷が火災に遭ったり、屋島神社(讃岐東照宮)造営の建築費を支出するなどした結果、江戸・大坂の商人からの借財が50万両以上に達し、藩財政が破綻状態に陥った[1]。そのため、東浜の海岸一帯を埋め立てて問屋街を造ったり、「讃岐二白」と呼ばれる製塩と製糖の産業育成を行うなどした。就任中、16回の旱魃に遭う。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.