江戸時代中期の大名。府内藩第4代藩主 ウィキペディアから
松平 近貞(まつだいら ちかさだ)は、江戸時代中期の大名。豊後国府内藩の第4代藩主。官位は従五位下・主膳正、対馬守。親清流大給松平家8代当主。
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正徳2年(1712年)正月、先代藩主で母方のおじにあたる松平近禎の婿養子となり、享保10年(1725年)の近禎の死去により跡を継いだ。享保の大飢饉や享保17年(1732年)の虫害による大被害で藩財政は一気に悪化し、幕府から3000両の金を借用して何とかする有様であった。寛保3年(1743年)4月にも城下で大火が起こり、幕府から2000両借用するなどして藩財政は破綻した。
このため、租税政策を重点において定免制度の制定や厳しい倹約令の制定、さらに商人から御用金をせしめて藩財政を再建しようとしたが、やがて失意のうちに延享2年(1745年)9月18日、家督を長男・近形に譲って隠居した。
父母
正室
側室
子女
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