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松平 直明(まつだいら なおあきら)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。越前国大野藩2代藩主、播磨国明石藩初代藩主。官位は従四位下市正。直良系越前松平家2代。
明暦2年(1656年)越前大野藩初代藩主・松平直良の三男として江戸にて誕生。兄2人が直明の出生前に没していたため、末子ではあるが世継候補となった。万治元年(1658年)に領国の大野へ移り、同地で育つ。寛文7年(1667年)、江戸に赴き正式に直良の世子となり、初めて4代将軍・徳川家綱に御目見した。
寛文9年(1669年)、従五位下若狭守を叙任する。寛文11年(1671年)、伊予国松山藩主・松平定頼の養女・仙姫を正室として迎えた。延宝3年(1675年)、従四位下に昇進する。延宝6年(1678年)、直良が没し、大野藩を襲封する。天和2年(1682年)、1万石加増の6万石で明石に転封となる。元禄10年(1697年)、美作国津山藩主・森衆利が改易となったため、津山城受け取りに赴いた。
元禄14年(1701年)、家督を長男・直常に譲って隠居した。翌元禄15年(1702年)、市正を称する。享保元年(1716年)、正室の仙姫が病没する。享保6年(1721年)、明石城二の丸にて病没した。享年66。
『土芥寇讎記』に拠れば、以前は美女を多数集めて歌舞を好んでいたが、今は止めたとされている。また「主将の器に非ず」ともされている。長じてのち、浄土宗を信仰していたともされている。
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