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松平 直常(まつだいら なおつね)は、江戸時代中期の大名。播磨国明石藩2代藩主。官位は従四位下侍従、但馬守。直良系越前松平家3代。
延宝7年(1679年)、越前国大野藩主・松平直明の長男として江戸にて誕生。天和元年(1681年)、松千代丸から処次郎と改名する。天和2年(1682年)、直明が明石藩へ転封となる。元禄3年(1690年)、元服して諱を直常と名乗り、5代将軍・徳川綱吉に御目見した。その後、直武と改名したが、再び直常に戻した。
元禄6年(1693年)、従五位下、左兵衛佐を叙任する。元禄13年(1700年)、伊勢国桑名藩主・松平忠雅の姉・浅姫を正妻として迎えた。元禄14年(1701年)、直明の隠居に伴い家督を相続した。宝永元年(1704年)、和泉国岸和田藩主・岡部長泰、摂津国三田藩主・九鬼隆久と共に幕府より大和川改修工事を命ぜられる。宝永4年(1707年)、従四位下、左兵衛督に昇進する。正徳元年(1711年)には大和川改修工事に次いで朝鮮通信使接待役に任ぜられた。これら使役により、先代より窮していた藩の財政は一層困窮することとなった。享保17年(1732年)に享保の大飢饉が起こると、明石藩もイナゴの被害を受けた。享保18年(1733年)、侍従に任ぜられた。元文5年(1740年)、但馬守に改称する。
寛保2年(1742年)、脳卒中となり右足が不自由になった。このため、翌寛保3年(1743年)に家督を長男・直純に譲って隠居した。延享元年(1744年)明石城二の丸にて病没。享年66。
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