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江戸時代前期の大名。桑折藩主 ウィキペディアから
松平 忠尚(まつだいら ただなお)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。陸奥国白河新田藩主、のちに陸奥桑折藩初代藩主。官位は従五位下・宮内大輔。忠尚系奥平松平家初代。
慶安4年(1651年)、肥前国唐津藩主・松平乗久の長男として誕生。初名は乗守。
白河藩主・松平忠弘には、健康面で優れぬ長男・清照だけがあり、その他3人の男子は成人しないまま亡くなっていた。そこで乗守が忠弘の婿養子となり、忠尚と改名した。
しかし、忠尚は家中において人望がなかった上、正室との間に儲けた仙千代(乗良)に夭折されたばかりか、正室にも先立たれた。追い討ちをかけるように清照に嫡男・忠雅が誕生し、忠弘との仲が疎遠になった。その結果、次の家督を巡って家中が分裂、お家騒動まで発展した。5代将軍・徳川綱吉の命令で、忠尚は白河藩世子から外された上、元禄元年(1688年)10月、白河新田藩2万石を分与されて別家を立てることとなった。
元禄13年(1700年)1月11日、陸奥桑折藩に移封される。享保4年(1719年)11月2日、家督を弟・乗春の五男で養子の忠暁に譲って隠居する。享保11年(1726年)1月29日に病死した。享年76。
父母
正室
子女
養子、養女
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