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松岡 宏泰(まつおか ひろやす、1966年(昭和41年)4月18日 - )は、日本の実業家、東宝代表取締役社長 社長執行役員、東宝東和取締役会長、公益財団法人川喜多記念映画文化財団評議員。
イタリア・ローマで松岡功の長男として生まれる[1]。3人姉弟の真ん中。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部[2]、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業[3]。大学時代は體育會庭球部でテニス三昧の生活を送る[4]。大学卒業後、アメリカ合衆国のオルブライト大学、ピッツバーグ大学でそれぞれ学ぶ。留学時代には、実弟の修造がプロテニス選手として遠征した際、休日を利用してサポートをしたこともあった[5]。
1992年、ピッツバーグ大学経営大学院を修了後、ハリウッドの大手エンターテイメントエージェンシーとして知られるインターナショナル・クリエイティブ・マネージメントに入社。そこで資料整理などの仕事を担い、ハリウッド映画会社の裏側を大いに学んだ[4]。
1994年、帰国。東宝東和に入社[3]。1998年に取締役となり、段階を踏んで昇進、2008年に代表取締役社長、2015年に代表取締役会長となった[3]。2022年現在は取締役会長。
2014年、東宝取締役に就任。2018年に常務取締役、2021年に取締役 常務執行役員にそれぞれ就く[3]。東宝では映像本部(映画調整部、映画企画部、国際部)の事業の統括を担当する[6]。2022年5月26日付で島谷能成の後任として、第15代社長に就任した[3][6]。
松岡家は元々摂津国有馬郡塩瀬村(現・兵庫県西宮市塩瀬町)において地域の門閥家であったとされる一族で、高祖父にあたる松岡修造(弟と同姓同名)が大阪で実業家として成功を収めたことで財を成した。修造の養子で家督を継いだ松岡潤吉は修造と共に設立した松岡汽船など、養父の遺した企業の経営を続けながら呉羽紡績(現:東洋紡)の設立などにも携わり、1933年には兵庫県で第5位の資産家になるまでの財力を築いた。さらに潤吉はこの財力を背景に、兵庫県選出の多額納税者議員として貴族院議員を務め、また小林一三の次男・辰郎を婿養子として松岡家に迎え入れることで、関西財界の有力一族であった小林家と縁戚関係を結んだ。辰郎の娘が一三の三男・米三の養女に迎えられたことで、両家の関係は更に緊密なものとなり、同家も小林家を中心とした阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)に組み込まれて、関西財界の名門一族になった。
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