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大阪府にある2つの神社 ウィキペディアから
杜本神社(もりもとじんじゃ)は、大阪府にある神社。同名神社として羽曳野市・柏原市に1社ずつがあり、いずれも河内国安宿郡の式内社(名神大社)「杜本神社二座」の論社。羽曳野市の杜本神社の方が有力な論社とされる。羽曳野市の杜本神社は縁切りや命名、占いに御利益があるとされている。
どちらも祭神に経津主神が含まれている。一説には、崇神天皇の時代、経津主命の14世の孫の伊波別命(いわわきのみこと)が、祖神・経津主神の陵墓のある地に住み、経津主神を祀ったのが起源であるという。
延喜式神名帳に名神大社として記されるほか、延喜式で当社の祭礼が「杜本祭」として記載され、内蔵寮の幣使が参向していた。天正年間、織田信長の高屋城攻めの際、兵火によって社殿・社宝を失い、1586年(天正14年)、豊臣秀吉に社領を没収され衰微した。
経津主命と経津主姫命の夫婦神を祀るとしているが、『神社明細帳』では事代主命・経津主命、『河内国式神私考』では句々廼智命・氷谷坐彌豆波乃売神、『地名辞典』『神祇志料』『地理志料』では「当宗忌寸の祖神」としている。
創建年代は不詳である。社伝によると、伊波別命に縁の一族が神社の祭祀を行い、平安時代には「矢作忌寸」を称したという。神仏習合時代に神宮寺の金剛輪寺が創建され、社僧により奉仕されたが、明治の神仏分離により金剛輪寺は廃寺となった。明治5年(1872年)に村社に列格し、明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進社となった。
境内の本殿前左右には、「隼人石」と呼ばれる石造物1対がある。獣頭人身像が彫られたもので、造立年代は不明だが、奈良市の「那富山墓」にある隼人石第1石によく似る[1]。
現在の社殿は江戸時代に高津宮から移築したものである。境内社として以下のものがある。
祭神は経津主命一座のみであり、『明治神社明細帳』では「祭神不詳」と記されている。
創立年代は不詳である。明治時代の社格は無格社であった。明治40年(1907年)12月25日、国分神社(柏原市国分市場)に合祀され、その境内社となった。昭和47年(1972年)3月、旧地に社殿が再興された。国分神社内の境内社(森本神社)も現存している。
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