メンバー
来歴・概要
CMディレクターの村上明彦とレコーディングディレクター(キティレコード)の近藤由紀夫が、中学生当時(2人は同じ東海中学校の同級生)に考えていた“レコードが完成するまでの作業を2人だけでやりきる”という構想を具現化するために結成。
1985年には自らのスタジオ「BANANA STUDIO」を設立。商業音楽の企画プロデュース・作詞・作曲・編曲・演奏・歌、さらにはミキシングやマスタリングまでも全て2人で仕上げる技術を持ち、CMソングを中心に演歌・アイドル・童謡など幅広いジャンルの作品を手がけた。
ディスコグラフィ
シングル
- 鉄骨娘(1990年3月21日) - 鷲尾いさ子と鉄骨娘
- ゆれて動物(1990年7月21日) - 敏いとうとハッピー&ブルー
- 流星のごとく(1990年8月21日) - 逸見政孝
- 悲しき水中翼船(1990年11月21日) - 中嶋悟
- 100万の思い出(1991年3月21日) - ザ・キングトーンズ
- 風の鉄骨娘(1991年4月10日) - 鷲尾いさ子と鉄骨娘(広東語:劉小慧——《急色鬼愛出位》)
- ゴメンネ(1991年4月10日) - 火野正平
- 日本万歳音頭(1991年4月25日) - 菅原文太
- 熱血キッドの唄(1991年5月1日)
- 裸の王様(1991年9月21日) - 渡瀬恒彦
- サラリーマンが最高!(1991年10月23日) - チャーリー浜
- 想い出にされてたまるか(1991年11月21日) - 火野正平
- 熱血RIDE ON!/ENERGY(1992年4月22日)
- 星屑のパラダイス/月の涙マンボロリン(1992年5月22日)
- ちきゅうのうた(1992年7月22日) - 富田靖子&東京バナナボーイズ
- フルフリ ユリユラ(1992年8月21日) - しじみとさざえ
- ちょっとだけ秘密(1992年12月12日) - 奈保子&小金沢くん
- 瞳はYES!/カルトQのテーマ(1993年4月28日)
- JUST!/じゃんだらりん(1993年9月22日)
- ぜったいイチバン(1994年4月21日) - 西田敏行
- 救助完了(1996年7月3日) - 東京バナナボーイズ&橋幸夫
- GIANTS FIRE!(2000年7月1日)
- 逆にそれって愛かもね(2006年11月22日) - 純一&彩
- おーい空よ(2008年2月27日) - えなりかずき・根本美緒
他
アルバム
解散後
村上明彦
マルチクリエイターとして活動。解散直後は、石丸しいな・矢萩渉・ラッキィ池田とのユニット「C☆NA&カーキーズ」を活動の中心としていた。2012年から沖縄の地元アイドルユニット「らぐぅん」「らぐぅんぶるぅ」を起用した沖縄県内企業CM等をトータルプロデュースしている。[2]
いずれも作詞・作曲・コーラスアレンジ:村上明彦、編曲:矢萩渉
近藤由紀夫
楽曲の提供や、編曲・プロデュースなど行うサウンドクリエイターとして活動。また、小西香葉とユニット「MOKA☆(モカ)」を結成し、テレビ番組やドラマ・映画・アニメなどの音楽を手掛け、オリジナルアルバムも発売している。
脚注・出典
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