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『新フランス評論』(しんフランスひょうろん、La Nouvelle Revue Française)は、1908年創刊のフランスの文芸雑誌。2度の大戦時の休刊を経て今に続く。初期は同人誌だったが、現在は総合出版の大手ガリマール出版社が発行している。多くの作家を育てた。N.R.F.、NRF、nrfとも書かれる。読みはエヌエルエフ(エネレフ)。
1908年11月、若い作家らによりパリで創刊されたが、直ちに派閥割れし、1909年2月、再出発した。同人はアンドレ・ジッド、アンリ・ゲオン、ジャン・シュランベルジェ、ジャック・コポー、アンドレ・リュイテルス、マルセル・ドルーアンの6人であった。「出直し創刊号」は、ジッドの『狭き門』第一部も載せた[1]。
第24号を出した1910年末、出版部門設立のため、同人らが知る資産家の息子、ガストン・ガリマールに声をかけた。NRF出版社(Éditions de La Nouvelle Revue française)が1911年3月に発足し、ガリマールが『新フランス評論』誌の出版人となった[2]。
1913年10月、ジャック・コポーが旗揚げしたヴィユ・コロンビエ座は、NRFの演劇部門であり、一党が開場の雑役を手分けし、初日には総見におよんだ。
第一次世界大戦が勃発して関係者の多くが出征し、1914年9月から1919年6月まで休刊した。
第二次世界大戦中のパリのナチスは、親独のピエール・ドリュ=ラ=ロシェルの編集長就任を強行し、NRF誌は1940年12月以降彼が編んだが、同人らの非協力のため、1943年6月、休刊に追い込まれた。
1953年1月、『新新フランス評論』と改名して再出発した。復刊に手間取ったのには、対独協力に関する戦後の糾弾の矛先を、「ガリマール書店」が、「ドリュ=ラ=ロシェル編集の『新フランス評論』誌」の方へかわした、という事情があった。
『新新』誌は、モーリス・ブランショの時評が評判を呼んだ。1959年2月号から『新』を一つ除いて旧名に戻した。1999年1月からは、季刊に間延びした。
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