後花園天皇
日本の102代天皇 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:
トップの事実と統計を挙げていただけますか 後花園天皇?
この記事を 10 歳向けに要約してください
すべての質問を表示
後花園天皇(ごはなぞのてんのう、1419年7月10日〈応永26年6月18日〉- 1471年1月18日〈文明2年12月27日〉[1])は、日本の第102代天皇(在位:1428年9月7日〈正長元年7月28日〉- 1464年8月21日〈寛正5年7月19日〉)。諱は彦仁(ひこひと)。
概要 後花園天皇, 第102代天皇 ...
後花園天皇 | |
---|---|
即位礼 | 1430年1月21日(永享元年12月27日) |
大嘗祭 | 1430年12月3日(永享2年11月18日) |
元号 |
正長 永享 嘉吉 文安 宝徳 享徳 康正 長禄 寛正 |
摂政 | 二条持基 → 一条兼良 → 二条持基 |
関白 |
二条持基 → 近衛房嗣 → 一条兼良 → 二条持通 → 鷹司房平 → 二条持通 → 一条教房 → 二条持通 |
征夷大将軍 | 足利義教→義勝→義政 |
先代 | 称光天皇 |
次代 | 後土御門天皇 |
誕生 |
1419年7月10日(応永26年6月18日) 庭田重有第 |
崩御 |
1471年1月18日(文明2年12月27日)卯刻 室町第泉殿 |
大喪儀 | 1471年1月23日(文明3年1月3日) |
陵所 | 後山国陵、般舟院陵(分骨所) |
追号 |
後花園院 (後花園天皇) 1471年3月10日(文明3年2月19日)追号勅定 |
諱 | 彦仁 |
別称 | 円満智(法名) |
元服 | 1433年1月24日(永享5年1月3日) |
父親 |
養父:後小松天皇 実父:伏見宮貞成親王(後崇光院) |
母親 |
養母:日野西資子(光範門院) 実母:庭田幸子(敷政門院) |
子女 |
観心女王 成仁親王(後土御門天皇) 他 |
皇居 |
土御門高倉殿 京都御所 一条東洞院殿 |
親署 | |
テンプレートを表示 |
閉じる
伏見宮貞成親王(後崇光院。崇光天皇の孫)の第一王子。母は庭田経有の女の庭田幸子(敷政門院)。践祚前の正長元年7月17日(1428年8月27日)に後小松天皇の猶子となる。
本来は皇統を継ぐ立場にはなかったが、傍系で三従兄弟[注釈 2]にあたる称光天皇が嗣子を残さず崩御したため、皇位を継いだ。先帝とは8親等以上離れた続柄での皇位継承は53代(称徳天皇→光仁天皇)以来658年ぶりであり、かつ南北朝合一時の「明徳の和約」(皇位は両統迭立とする)にも反するため、旧南朝勢力の激しい反発を招き、以後、約60年にわたって南朝復興運動(いわゆる「後南朝」)が繰り広げられる引き金になった。