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室町時代前期の公家。後花園天皇の外祖父。従四位下、右近衛少将、贈従一位、左大臣。庭田家13代 ウィキペディアから
庭田 経有(にわた つねあり)は、室町時代前期の公家。権大納言庭田重資の子。姉資子が崇光天皇の典侍として伏見宮栄仁親王を生んで以来、宮家との関わりが深く、その家司を務めた。後花園天皇の外祖父に当たる。
詳しい経歴は不明だが、正平19年/貞治3年(1364年)1月正五位下に叙されたのが史料上の初見[1]。この頃右兵衛督[2]を経て、間もなく従四位下[3]・右少将に叙任された。正平23年/貞治7年(1368年)1月栄仁の親王宣下に伴い、伏見宮家司として崇光院・栄仁父子に近侍。やがてその御領である近江山前北荘を拝領した。崇光院流の再興を期し、栄仁の即位による自身の栄達を悲願したが、昇叙の機会を得ることなく、応永5年(1398年)5月栄仁親王の落飾に先だって出家させられた。法名を明堯という[4]。同19年(1412年)5月15日に卒し、伏見に葬られた。享年は70歳代か。
後花園天皇の外祖父に当たることから、33年忌の文安元年(1444年)5月6日に従一位・左大臣を追贈されたが、当時は出家した人物への贈官は希有な例とされた。『新続古今和歌集』に1首入集した歌人である他、琵琶も嗜んでいる。また、日記の自筆断簡(応永5年5月18日、26日記)が宮内庁書陵部所蔵の伏見宮御記録の中に現存する。
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