当麻智徳
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当麻 智徳(たいま の ちとこ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は智得とも記される。贈直大壱・当摩広麻呂の子とする系図がある[1]。位階は従四位上。
持統天皇2年(688年)天武天皇の葬礼において皇祖の日継の次第(皇統譜)を誄にして奉り礼式のように行った(この時の冠位は直広肆)[2]。持統天皇6年(692年)持統天皇の伊勢行幸に際して、紀弓張らと共に留守官を務める[3]。
大宝元年(701年)大宝令における位階制度の制定を通じて従四位上に叙せられる。大宝3年(703年)持統天皇の葬儀において、諸王諸臣を率いて誄を奉り[4]、慶雲4年(707年)文武天皇の葬儀でも同じく誄を奉っている[5]。
『六国史』による。
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