建福寺
長野県伊那市にある寺院 ウィキペディアから
長野県伊那市にある寺院 ウィキペディアから
建福寺(けんぷくじ)は、長野県伊那市高遠町西高遠にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
建福寺 | |
---|---|
所在地 | 長野県伊那市高遠町西高遠1824 |
位置 | 北緯35度50分17秒 東経138度03分24秒 |
山号 | 大宝山 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 妙心寺派 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | (伝)平安時代末〜鎌倉時代初 |
開基 | (伝)文覚 |
正式名 | 大宝山 建福寺 |
札所等 | 伊那諏訪八十八霊場第51番札所 |
文化財 | 紙本墨画中観音左右竜虎図(国の重要文化財) |
法人番号 | 9100005008615 |
伝承によれば文覚上人(1139年~1203年)が独鈷池付近に開創。 康元元年(1256年)蘭渓道隆(大覚禅師)が立ち寄り、鉾持山乾福興国禅寺(ほこじさんけんぷくこうこくぜんじ)を興した。 のち、武田信玄の帰依により、静岡市の臨済寺から東谷宗杲禅師を招いて中興開山とし、妙心寺派となった。 貞享2年(1685年)、喝道和尚中興、明和3年(1765年)3月24日類焼、安永4年(1775年)少山和尚がさらに中興するも、嘉永4年(1851年)正月19日焼失、安政3年(1856年)に再建した。
武田勝頼が高遠城主の時、武田家菩提所とし、母諏訪御料人を埋葬して乾福院殿という。 さらに次の藩主、保科氏も菩提寺とし、大寶山建福寺と改名。 寛永13年(1636年)保科正之が会津若松藩主となり、移封する際に、鉄舟和尚が供奉して会津にも建福寺 (会津若松市)を創建した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.