庄屋
江戸時代の地方三役の一つ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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庄屋(しょうや)・名主(なぬし)・肝煎(きもいり)は、江戸時代の村役人である地方三役の一つ、郡代・代官のもとで村政を担当した村の首長[1]。いずれも中世からの伝統を引く語で、庄屋は「荘(庄)園の屋敷」、名主は「中世の名主 (みょうしゅ)」からきた語とされている[2][3]。概して、庄屋は関西で、名主は関東で、肝煎は東北・北陸で用いられる[4]。庄屋の多くは、武士よりも経済的に裕福で、広い屋敷に住み、広大な農地を保有し、また、文書の作成に携わるという仕事柄、村を代表する知識人でもあった[5]。江戸時代に庄屋を務めた家系は、もともと名門家系だったことが多く、戦国武将の有力な家臣が、江戸時代に入って庄屋となったケースは、かなり見られる[5]。