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庄内神楽(しょうないかぐら)は、大分県由布市庄内地域(旧大分郡庄内町)に伝わる神楽の総称。由布市指定無形民俗文化財。おおいた遺産。
神楽は大分県を代表する民俗芸能とされる[1]。安永7年(1778年)には庄内地域で社家衆団による神楽の奉納が行われたという記録があるが、現在の形として始められたのは明治初期からであり、豊後神楽発祥の地から伝承されて一般の氏子などによる同好会的な神楽舞集団が組織されたといわれる[2]。五穀豊穣を祈り、豊作に感謝して神社に奉納したことに始まる[3][4]。
5月から10月の第3土曜、由布市庄内町にある庄内総合運動公園の神楽殿において各神楽座の持ち回りによる定期公演が行われている[5]。
娯楽が少なかった時代、祭礼において神楽・獅子舞・相撲などが行われた[6]。明治時代初期、大分郡庄内町高津の佐藤菊太郎が大野郡大野町の犬山神楽を伝授され、神楽座を結成したのが庄内地区系神楽の先駆けである[6]。上津八幡社の犬山神楽を佐藤に伝授したのは野村由蔵、甲斐富吉、足立松三郎の3人である[6]。大正時代から昭和初期に始まった神楽座も多いが、各神楽座に関する文献資料は乏しい[6]。
阿蘇野地区系の2の神楽座は、いずれも大野郡朝地町の深山流神楽に起源を持つ[6]。阿蘇野神社の神楽座は江戸時代末期頃に結成されたといわれる[6]。直入中臣神社の神楽座は1873年(明治6年)に深山流神楽の指導を受けたといわれる[6]。
1981年(昭和56年)には庄内ふるさと祭りが初開催され、その一貫として第9回から庄内神楽祭りが行われるようになった[3][4]。第9回から第13回までは、子供神楽を含めて12座が出演し、第14回からは大分県立碩南高等学校郷土芸能部が参加して13座の出演となった[3][4]。
1997年(平成9年)には神楽座のひとつである雲取神楽座がオーストラリア公演を行い、雲取神楽座はジャズ神楽を創始するなど、それぞれの神楽座の活動は多岐に渡っている[3][4]。1997年(平成9年)には大分市稙田地区を拠点として、庄内神楽系の大分神楽社が発足した[3][4]。
1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)に行われたふるさと創生事業においては、庄内町は交付された1億円のうち3500万円を事業費として、庄内町総合運動公園内に神楽殿式の多目的野外ステージを建設した[7]。1980年代から大分県では一村一品運動が行われていたが、1990年代には一村一文化事業も行われるようになり、1991年(平成3年)には庄内神楽も対象事業に指定された[8]。
2007年(平成19年)6月29日、「庄内神楽」として由布市無形民俗文化財に指定された[9]。2008年(平成20年)、大分合同新聞社が主催するおおいた遺産に認定された[10]。
庄内神楽には12の神楽座と庄内神楽有志会の13団体がある。
楽器は太鼓(大太鼓、小太鼓)、横笛、銅拍子が使われている。
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