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『嵐を呼ぶ男』(あらしをよぶおとこ)は、1957年・1966年・1983年に公開された日本映画。ドラマーの男性と芸能マネージャーの女性の恋および、男性の挫折が描かれる。
特に1957年の石原裕次郎主演版は、石原の代表作に数えられており、石原自身が歌った主題歌は62万枚のヒットを記録した。1966年版は渡哲也が、1983年版は近藤真彦が主演した。
1957年12月28日公開。カラー、シネマスコープ(冒頭「日活スコープ」と表示)、100分。
東京・銀座。ナイトクラブの専属ジャズバンド「福島慎介とシックスジョーカーズ」が人気を博していた。ある夜、音楽大学の学生・国分英次がクラブを訪ね、バンドのマネージャーで慎介の妹・福島美弥子に、ドラマーとして自身の兄・国分正一を売り込むが、バンドにはすでに人気ドラマーのチャーリー・桜田が在籍していた。ある夜、チャーリーが急に無断で仕事を休んだため、美弥子は正一を呼ぶために英次に連絡を取る。正一は喧嘩騒ぎを起こして留置場に入っていた。美弥子が身元引受人になり、ステージに出して評判を得る。実はチャーリーは酔客相手の演奏に嫌気が差し、商売敵の芸能プロモーター・持永の事務所の引き抜きに応じていた。
チャーリーがバンドを脱退したため、美弥子は正一をバンドに正式加入させ、練習のため自宅に住まわせる。音楽評論家の左京徹は正一に「美弥子との仲を取り持ってくれるなら正一を宣伝する」と持ちかけ、正一は応じる。左京は約束通りテレビで正一を持ち上げ、正一とチャーリーのドラムス対決公演を提案する。しかし公演の前日、チャーリーを勝たせたい持永が子分を放って正一に喧嘩を吹っかけたことで、正一は左手を負傷してしまう。
公演では、チャーリーの演奏が優位であったが、正一は右手だけでドラムスを叩きながら歌い、観客の喝采を浴びる。歌うジャズドラマーとして売れっ子になった正一は、やがて美弥子と結ばれる。英次もクラシックとジャズを融合した現代音楽の作曲家・指揮者として芽が出始め、ラジオ中継による初リサイタルが決まる。
正一と美弥子が関係を持ったことを知った左京は怒り、正一に美弥子の元を去って持永の事務所に移籍するよう迫ると同時に、英次のデビューへの妨害工作をも示唆する。正一は止むなく美弥子に別れを告げ、母・貞代の住むアパートに立ち寄る。正一の素行に愛想を尽かし、また音楽を認めない貞代は、英次がアパートの大家の娘・島みどりと婚約したことを告げ、「お前はみんなの幸せを壊すことしかできない」と詰って正一を追い返す。行き場を失った正一は、持永の愛人であるダンサーのメリー・丘の元に身を寄せる。ふたたび持永の怒りを買った正一は、子分たちに右手をつぶされ、ドラマーとして完全に再起不能となる。そこには持永と結託した左京の姿もあった。やがて正一は入院先の病院から行方をくらます。
英次のオーケストラのリサイタルの日、正一は行きつけのバーでラジオから流れる英次の曲を聞いていた。美弥子は正一には歌手としての再起の可能性があると信じ、貞代もまた弟を救うために自らの才能を犠牲にした正一の本心を思い知る。二人は正一を探し当て、母子はようやく和解するのだった。
渡哲也主演による石原版のリメイク。1966年12月10日公開。カラー、シネマスコープ、95分。
設定が若干変更されており、主人公の弟の職業が音楽家ではなくレーサーになっている。また、石原版では死去した設定の正一・英次兄弟の父親(演:宇野重吉)が登場し、ラストシーンは正一と父親がテレビで英次が出場しているカーレースを一緒に観戦するものとなっている(英次のゴール前に正一は優勝を確信し、美弥と立ち去る)。ドラム合戦のシーンでは、ライバルの策略にはまり手を怪我するのは石原版と同様であるが、その怪我が原因でスティックの片方を床に落としてしまい、ドラムが叩けなくなったために歌い出す、という描写になっている。
また歌の途中の台詞も、「そら! そら! そら! お前は俺の弟よ、俺の心はお前の心だ! そーら、ドラムが俺を呼んでるぜ! それ! 恋だ! 喧嘩だ! お祭りだ! よーし俺に任せろ、それっ、シンバルだ!」というものに変更されている。
1983年8月4日公開。カラー、アメリカンビスタ、132分。近藤真彦主演映画としては第4作目で、「たのきんスーパーヒットシリーズ」第6弾。たのきんトリオシリーズの実質的な最終作となった。石原裕次郎版の監督である井上梅次がふたたびメガホンをとった。設定はジャズバンドからロックバンドに変更されている。
封切り時の同時上映作品は『Love Forever』(主演:田原俊彦)。
近藤に合わせるため、「嵐を呼ぶ男」のサビに新たな歌詞が追加されている[要出典]。
裏に角川映画の「探偵物語」と「時をかける少女」が投入されたため興行的に惨敗し[要出典]、ヒットしなかった[5]。
このため田原俊彦主演の1984年の正月映画として、井上梅次監督自身による1957年の映画『鷲と鷹』のリメイクが構想されていたが、実現に至らなかった[5]。「裕次郎にこだわるのはもう得策ではないのではないか」という意見が出て[5]、企画は舛田利雄監督の『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』になった(はじめ舛田は『太陽と狩人(たいようとハンター)』というオリジナル作品を構想していた)[5]。
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