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人類が岩陰を利用し活動して形成された遺跡。 ウィキペディアから
岩陰遺跡(いわかげいせき、英: rock shelter, grotto)は、張り出した岩盤を屋根代わりに利用したことを特徴とする先史人類の生活の痕跡としての遺跡のことをいう。
岩陰や洞窟の入り口は、天井の岩盤が屋根代わりとなって風雨を避けることができるとともに、外光が差し込むために旧石器時代や新石器時代の人類にとってはきわめて居住に適した地形であった。岩陰は、洞窟の入り口同様に利用されるために、洞窟の入り口を利用した遺跡のカテゴリーに含めて洞穴遺跡(どうけついせき)と呼ばれ、洞窟遺跡の一種としてもしばしば位置付けられる。例えば、パキスタンのサンガオ洞穴のように幅30 m、奥行き10 m程度の穴も事実上岩陰といえるが、その形状が浅い洞窟とみなされる。
ただし、洞窟遺跡と異なるのは、岩陰遺跡は、洞窟の開口部の代わりに、もっぱら石器時代段階の岩陰に遺された居住の痕跡を指すのに対し、洞窟遺跡は、用途、時期を問わずに洞窟そのものを用いた遺跡全てを指す点である。アウストラロピテクス(猿人)段階からネアンデルタール人などの旧人段階までは、岩陰遺跡と洞窟遺跡の性格に大差はなかったが、後期旧石器時代のクロマニヨン人などの新人段階になると洞窟の深い部分にまで使用するようになり、フランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟のように素晴らしい洞窟絵画が描かれるようになる。その一方では、相変わらず岩陰や洞窟の入り口に住み続ける者も多く、ペルーのトケパラ洞窟 (Toquepala cave) も構造的に浅いため、事実上岩陰遺跡であるが、壁面に狩猟を表現したすばらしい壁画で知られている。
洞窟遺跡や岩陰遺跡は、人間の生活した痕跡部分に岩陰や洞窟の入り口が侵食されて、岩屑や土砂が堆積し、またその上を生活面として使用して、食べられた動物の骨やトウモロコシの穂軸のような植物の遺存体、石器、土器、たき火に使用した木材片、敷物など様々な生活関連遺物が遺されて、放棄された後再び浸食による自然堆積がなされる。これが繰り返されて幾層にも堆積される。堆積物は流れ込んでも直接は風雨にさらされず浸食されない乾燥した岩陰や洞窟の内部は、当時の人類の活動の痕跡をパックして良好に保存することになる。
日本では、旧石器時代から縄文時代前期頃にかけて、とくに縄文早期を中心に岩陰遺跡や洞窟(洞穴)遺跡がみられる。これらは気候変動にともなって台地部に居住空間が進出していった前期段階になるにつれその利用が減少するが、後期前半になると再び利用されるようになる。特に後期においては山岳・丘陵部のみならず、海岸部においても利用痕跡が多く確認されている。
さらに興味深いのは、晩期終末にかかる時期においてもその利用が多い点である。これら岩陰や洞穴は一様な利用をされていたわけではなく、その利用形態には生業活動や埋葬といった機能区分があったと考えられる。
現時点で国内最多の岩陰遺跡が確認されているのは北松浦半島 [1]。
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