Loading AI tools
北京の史跡公園 ウィキペディアから
天壇(てんだん、簡体字中国語: 天坛、拼音: 、満洲語:ᠠᠪᡣᠠᡞ
ᡝᠨᡩᡠᡵᡳ
ᠮᡠᡴ᠋ᡩᡝᡥᡠᠨ、転写:abkai enduri mukdehun[1])は、中華人民共和国北京市東城区に位置する史跡で、明朝から清朝にかけて、皇帝が天に対して祭祀(祭天)を行った宗教的な施設(祭壇)である。敷地面積は約273ha。
明の永楽18年(1420年)、永楽帝が建立したとされる。建設当時は天地壇と呼ばれていたが、嘉靖13年(1534年)、天壇と地壇に分離、天壇と呼ばれるようになった。1998年よりユネスコの世界遺産(文化遺産)に、天壇:北京の皇帝の廟壇として登録された。2024年7月27日に「北京中軸線:中華の理想的秩序を示す建造物群」の一部としてもう一つの世界遺産に登録された[2]。中国の5A級観光地(2007年認定)[3]。
天壇の周辺は天壇公園として指定され、敷地内には約3600本のイブキやコノテガシワからなる広大なヒノキ林がある[4][5]。
皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所である。毎年冬至に豊作を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行った。
形は天円地方の宇宙観に則り円形である。また欄干や階段などが陰陽思想でいう最大の陽数である9や、その倍数で構成されている。各壇の直径を合計すると45丈であり、これは単に9の倍数という意味だけでなく、九五之尊[7]という意味も持つ。
天壇では後述する祈年殿が有名であるが、本来的な意味では圜丘殿こそが最も重要な場所である。
皇室の皇に、大空を表す穹と、宇宙の宇という字を書く。圜丘で祭事が行なわれる時、壇の上に置かれる天の神や、歴代の皇帝の位牌をふだん安置しておく所である。
天壇でもっとも有名とされる建造物の一つで、天安門や紫禁城とともに北京のシンボル的存在とされる。祈年殿では皇帝が正月の上辛五穀豊穣を祈りを捧げた。祈年殿は直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる祭壇で現存する中国最大の祭壇。中国建築史上重要な建造物とされる。木造で宝頂は金メッキがなされている。屋根は瑠璃瓦葺きの三層になっており、明の時代には上から青・黄・緑となっていたが1751年にすべて青色に変えられた。1889年落雷により焼失したが、1896年に再建されている。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.