大慶寺 (鎌倉市)
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大慶寺(たいけいじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は霊照山、本尊は釈迦如来。
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創建は弘安年間(1278年~1287年)と伝わる。創建当時は現在より南東(梶原1丁目、現鎌倉市立深沢中学校付近)にあった。創建後、無象静照、秋澗道泉などが住持となった。
1356年(延文元年)傑翁是英が、大慶寺開山塔方外庵の塔主となり、1357年(延文2年)8月7日大慶寺住持となる。この頃には、関東準十刹に列せられていた。
1386年(至徳元年)十刹の位次改訂で、関東十刹に列せられた。鎌倉幕府・室町幕府による禅宗保護の政策により発展し、方外庵、指月庵、覚華庵、天台庵、大堂庵、本光庵などの塔頭があり、薬師堂や地蔵堂もあり、深沢周辺に広大な寺域をもった。大慶寺周辺一帯は「寺分」という地名だが、これは「大慶寺の寺域」に由来する地名で[2]、往時の広さを推測できる。
1512年(永正9年)には北条早雲の軍勢に寺が焼き払われた。
1513年(永正10年)には仏殿、総門が風で倒れるなどして荒廃した。
1549年(天文18年)奇文禅才が住持となり、復興に尽力した。
1560年(永禄3年)から1561年(永禄4年)にかけ上杉謙信の鎌倉侵攻(小田原城の戦い)の影響をうけ、本尊はじめ諸像を円覚寺に退避させるなど、戦乱の影響によって次第に衰退していった。
1841年(天保12年)に成立した『新編相模国風土記稿』には「大慶廃寺」との記載があり[1]、江戸時代後期には廃絶していたと推測される。
1943年(昭和19年)に大慶寺の塔頭だった「方外庵」を大慶寺に改称し、現在に至っている。
本尊の木造釈迦如来坐像は二代目で1567年(永禄10年)に仏師快円が作ったものである。先代の本尊は北条早雲の焼き討ちにより頭部以外を失い、その後胴体を修復した上で円覚寺に退避させたものの、1563年(永禄6年)に円覚寺の火災により焼失した。
湘南モノレール「湘南深沢駅」より、徒歩約5分