右城暮石
1899-1995, 俳人。本名は斎。 ウィキペディアから
1899-1995, 俳人。本名は斎。 ウィキペディアから
長岡郡本山町字古田小字暮石(くれいし)に生まれる。本名は齊(いつき)で、俳号の暮石は出身地の小字の名に因む。
木能津尋常小学校から本山高等小学校に入り、1913年、中退し土佐電鉄に入社。1918年、社会運動家の岡本利吉の世話で、大阪電灯に入社。1920年、大阪朝日新聞社の俳句大会で松瀬青々を知り、青々の主宰誌「倦鳥」(けんちょう)に入会。1935年頃には古屋秀雄、細見綾子とともに「倦鳥」の若手三羽烏と呼ばれた。1938年大阪から奈良県に移住、晩年郷里へ戻るまで、奈良に住み、奈良を愛した。1946年「風」「青垣」同人。1947年、西東三鬼の紹介で日吉館句会のメンバーとなる。。1949年、「風」を退会し「天狼」同人。1952年、「筐」(かたみ)を創刊、富雄句会の会報誌であった。1956年、「筐」を「運河」に改題し主宰となる。
1964年、第5回スバル賞(「天狼」同人賞)受賞。1971年、第二句集『上下』他で第5回蛇笏賞受賞。1990年、「運河」主宰を茨木和生に譲り、1992年4月、92歳で高知県の生地に帰郷した。
「いつからの一匹なるや水馬」「散歩圏伸ばして河鹿鳴くところ」など、穏やかな目線で小動物を扱った句が多い。「散歩圏」の句は帰郷してのちの晩年の句である。
2003年、第一句集『声と声』から第六句集『散歩圏』にその補遺『頑張れよ』および句集未収録作品を加えた『定本右城暮石全句集』(茨木和生監修、邑書林)が刊行された。
出身の本山町では、町立大原富枝文学館を中心に、愛弟子・茨木和生の助力を得つつ、右城暮石の顕彰に注力している。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.