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冷泉為満

安土桃山時代から江戸時代初期の公卿・歌人。正三位・権大納言。上冷泉家9代 ウィキペディアから

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冷泉 為満(れいぜい ためみつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿歌人権中納言冷泉為益の子。官位正三位権大納言上冷泉家9代当主。

概要 凡例冷泉為満, 時代 ...

経歴

天正13年(1585年)に、山科言経四条隆昌と共に突然勅勘を被り、京都を出奔した。その後、為満の妹が本願寺の門主・顕如光佐の次男興正寺顕尊の室であった縁を頼り、言経・隆昌と共に本願寺に身を寄せていた[1]

為満不在の上冷泉家は断絶したものとみなされ、中山親綱の子を立てて為親と名乗らせ、当主とする措置がとられた。慶長3年(1599年)に為満が勅勘を解除されると、為親は冷泉家当主の地位を失ったが、新しい堂上家を創立することが許された。これが後の今城家である。

文禄5年(1596年)の慶長伏見地震では妻を亡くした[2]

元和5年(1619年)、薨去。享年61。

系譜

  • 父:冷泉為益(1516-1570)
  • 母:中殿(?-1583) - 不詳
  • 妻:不詳
    • 子:不詳
  • 妻:並河寄庵娘 - 天正15年9月5日に結婚、天正16年5月14,5日に離婚
  • 妻:津守国繁娘 - 母は福照院、天正16年閏5月21日に結婚、慶長1年閏7月12日夜の大地震で死去、享年24
    • 男子:為頼(1592-1627) - 左中将従三位
    • 男子:藤谷為賢(1593-1653) - 藤谷家
    • 女子 - 早世
  • 妻:加藤光泰娘 - 加藤貞泰姉、慶長4年8月20日に結婚、慶長12年4月5日に離婚
    • 男子:千世菊丸(千代菊丸) - 成人したかどうかは不明
  • 生母不明の子女
  • 養子
    • 男子:為親(1575-1610) - 中山親綱の次男

脚注

参考文献

関連項目

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