中山冷泉為親
安土桃山時代から江戸時代初期の公家。中山冷泉家(今城家)の祖。従四位下右近衛少将 ウィキペディアから
生涯
天正3年(1575年)、中山親綱の次男として生まれる。同13年(1585年)、冷泉為満が、山科言経・四条隆昌と共に突如として勅勘を蒙り京都を出奔した。そこで、親綱の次男が、冷泉家の通字「為」を入れて為親と名乗り、為満の養子となって家督を継承した。しかし慶長3年12月7日(1599年1月3日)に言経とともに赦免された為満が、上冷泉家の当主に復帰した。為親は上冷泉家の当主ではなくなったが、新たに堂上家を創設することが許され、中山冷泉家を興した。これがのちの今城家となる。
慶長15年(1610年)卒去した。享年36歳。法号は蓮池院清月浄空。
系譜
官歴
脚注
出典
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