六郷政勝
江戸時代前期の大名 ウィキペディアから
江戸時代前期の大名 ウィキペディアから
六郷 政勝(ろくごう まさかつ)は、江戸時代前期の大名。出羽国本荘藩の第2代藩主。官位は従五位下・伊賀守。
慶長14年(1609年)、初代藩主・六郷政乗の長男として誕生した。
慶長20年(1615年)4月8日、2代将軍・徳川秀忠に拝謁する。寛永11年(1634年)6月6日、政乗の死去により家督を相続した。同年8月5日、お国入りの許可を得る。寛永17年12月29日(1641年)、従五位下・伊賀守に叙任する。寛永20年(1643年)7月5日、山形城の守備を命じられる。山形藩主・保科正之の会津転封に伴うものであった。
弟の政徳・政直・政秀らと協力して藩政の基礎固めに専念した。しかし、冷害などの天災に悩まされたという。近隣に移封されてきた矢島藩初代藩主・生駒高俊と領地の一部交換を行い、以降名勝「象潟」を領地とする。寛文9年(1669年)12月10日、政秀の子である政慶に400石を分与したため、本荘藩は2万石となった。
延宝4年(1676年)6月晦日、長男の政信に家督を譲って隠居し、延宝5年(1677年)正月12日に死去した。享年69。
三男の政照は300俵を与えられ、旗本に列している。
父母
正室
子女
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.