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伊藤 信吉(いとう しんきち、1906年11月30日 – 2002年8月3日)は、日本の詩人、近代文学研究者。
1906年(明治39年)11月30日、群馬県群馬郡元総社村大字元総社(現:前橋市元総社町)の農家に父実太郎・母みねの長男として生まれる[1]。高等小学校を卒業後、1924年(大正13年)より5年間群馬県庁に勤務。1928年(昭和3年)に上京し「ナップ」に加盟した。萩原朔太郎、室生犀星、草野心平の知遇を得て、詩人として活動を開始する[2]。しかし、最初の詩集『故郷』刊行後に詩作を止め、詩人論や現代詩鑑賞などの評論著述に専念、萩原や室生などの詩人全集の編集に携わった[2]。
戦前にはプロレタリア文学運動に参加していた[3]。『中野重治詩集』が製本途中で発禁になり押収されそうになったときに、伊藤がとっさに自分の座っていた座布団の下に一冊隠して押収をまぬかれたというエピソードもある[要出典]。1939年8月に発刊した中村光夫、山本健吉らによる同人文芸誌『批評』にも参加した。
戦後は詩人研究で著名で、多くの全集類の編集出版にもあたった。後年、故郷の群馬に居を移し、群馬県での文学活動の中心的存在としても活躍[要出典]。郷土出版で『群馬文学全集』の編纂にも携わった[要出典]。
1973年に横浜市へ移住[2]。1976年(昭和51年)43年ぶりの誌集『上州』以降、晩年に至るまで次々と詩集を刊行した[2]。没する前年の2001年秋に『伊藤信吉著作集』(全7巻、沖積舎)が刊行開始し、2003年秋に完結した[要出典]。
弟子を中心にした人々が「伊藤信吉の会 (岡田芳保会長)」を発足させ[要出典]、2004年12月15日に群馬県前橋市のギャラリー・ホールのノイエス朝日で、全集完結などを記念し「伊藤信吉を偲ぶ会」が催された[要出典]。2006年1月-3月に神奈川近代文学館で「生誕100年 伊藤信吉展」が、2022年1月に群馬県立土屋文明記念文学館で企画展「写真で見る近代詩 没後20年 伊藤信吉写真展」が行われた。
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