能登半島地震 (2024年)
2024年1月1日に石川県能登地方を震源として発生した地震 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
能登半島地震(のとはんとうじしん)は、2024年(令和6年)1月1日16時10分(JST)に、日本の石川県の能登半島地下16 kmで発生した内陸地殻内地震[16]。震央は鳳珠郡穴水町の北東42 km[注釈 11][2]の珠洲市内にあった[18]。気象庁の発表によれば、この地震の気象庁マグニチュード(Mj)は7.6[19][20]であり、内陸部で発生する地震としては日本でも稀な大きさの地震であった[21]。観測された最大震度は、石川県輪島市門前町走出と同県羽咋郡志賀町香能で観測された震度7[6]。気象庁による正式名称は「令和6年能登半島地震[1]」。気象庁ホームページでの英称は「The 2024 Noto Peninsula Earthquake」。
「令和6年能登半島地震」は2024年1月1日に発生したMj7.6、最大震度7の地震について説明しているこの項目へ転送されています。2020年12月以降に活発になった群発地震については「能登群発地震」をご覧ください。 |
令和6年能登半島地震[1] | |
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被災した輪島市朝市通り付近で捜索活動を行う自衛隊(2024年1月6日) | |
震源の位置(USGS) | |
震央の位置(気象庁) | |
本震 | |
発生日 | 2024年(令和6年)1月1日 |
発生時刻 |
16時10分9.692秒(JST、USGS[2]) 16時10分22.5秒(同、気象庁[3][注釈 1]) |
持続時間 | 約40秒[5] |
震央 | 日本 石川県能登地方 |
座標 |
北緯37度29.7分 東経137度16.2分[6][注釈 2](気象庁[注釈 1]) 北緯37.488度 東経137.271度 / 37.488; 137.271[注釈 3] (USGS) |
震源の深さ |
気象庁:16 km[注釈 1] USGS : 10.0 km |
規模 | Mj7.6、Mw7.5[9] (7.43[5])、Mb6.9、Ms207.2[10][注釈 4] |
最大震度 | 震度7:石川県輪島市門前町走出[注釈 5]、羽咋郡志賀町香能(最大計測震度:志賀町香能6.69) |
津波 |
最大観測高[注釈 6](日本国内) 80 cm:石川県金沢、0.8 m:山形県酒田[注釈 7][11] 最大観測高(日本国外) 85 cm: 大韓民国 江原特別自治道東海市墨湖(朝鮮語版)[12] 最大痕跡高 4.7 m:石川県鳳珠郡能登町白丸[11] 最大遡上高 5.8 m:新潟県上越市船見公園[注釈 8][11] |
断層 |
F43断層・F42断層(国土交通省による名称) 猿山沖セグメント・珠洲沖セグメントの直下の断層(地震調査委員会) |
地震の種類 | 地殻内地震(逆断層型)[9] |
地すべり | 各地で発生したが具体的な件数は不明[注釈 9] |
前震 | |
回数 | 1回(最大震度1以上[注釈 10]) |
最大前震 | 2024年1月1日 16時06分、Mj5.5、最大震度5強[3] |
余震 | |
回数 | 1698回(最大震度1以上、2024年2月29日16時時点)[13] |
最大余震 |
2024年1月1日 16時18分、Mj6.1、最大震度5強 2024年1月9日 17時59分、Mj6.1、最大震度5弱 |
被害 | |
死傷者数 | 死者 299人(うち災害関連死70人)、行方不明者 3人、負傷者 1,326人(2024年7月9日14時時点、6月3日の余震による被害を含む)[14] |
被害総額 | 1.1兆円 - 2.5兆円(各地の震度からの推計[15]) |
被害地域 | 中部地方、近畿地方の一部 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 | |
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この地震は、能登半島西方沖から佐渡島西方沖にかけて伸びる活断層を震源とする地震であった[9]。震源域である能登地方では、2018年ごろから地震が断続的に続いており[22]、特に2020年12月ごろから地震活動が活発化しそれ以前と比べると地震回数が約400倍に増加していた[23][24](能登群発地震[注釈 12])。その活動が収束しない中で、2024年1月1日16時6分に、石川県能登地方を震央とするMj5.5の前震が発生し、最大震度5強が観測された。その4分後の16時10分にMj7.6の本震が発生した[6]。その後も最大震度5弱以上の強い余震が繰り返し発生した[13]。
本震により日本国外を含め日本海沿岸の広範囲で津波が観測されたほか[5]、土砂災害、火災、液状化現象なども各地で発生した。地震による家屋の倒壊が相次ぎ、死者が200人を超えて交通網も寸断されるなど、奥能登地域を中心に北陸地方の各地で甚大な被害が発生した。交通網の寸断や被災地の地形により自衛隊による救助活動も難航した[25]。元日に発生した大地震ということもあり、社会的にも大きな影響があった。