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京阪2000系電車
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京阪2000系電車(けいはん2000けいでんしゃ)は、1959年(昭和34年)から製造された京阪電気鉄道の通勤形電車である。
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昭和中後期の京阪の標準[注 1]となる、「卵型電車[注 2]」[1]の最初の形式にあたる。 当初は阪神のジェットカーや近鉄のラビットカーなどと同様に高加減速性能を持ち、「スーパーカー」の愛称がある。
高度経済成長に伴う沿線の人口増加(後述)、天満橋駅から淀屋橋駅への延長(1963年)に伴う車両不足の解消を目的に1966年までの7年間で100両が製造され、京阪線の主力の通勤車両として運用されたが、架線電圧の1500Vへの昇圧に備えて、それに対応出来ない本系列は1978年から順次、全車両が車体及び台車と一部の機器を流用(書類上は代替新造)し、2600系(0番台)として形式を改めて事実上の昇圧対応化更新工事を施し、1982年までに形式消滅となった。